仁宇布線(にうぷせん) 宗谷本線の美深駅とニウブ川上流域の仁宇布を結ぶ植民軌道です。 仁宇布は美深から20キロ余りのところにある集落で、その奥地は豊富な森林地帯で早くから開発が望まれていました。 昭和・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 43 (北海道植民軌道)
北海道植民軌道は北海道だけの軌道 昭和47年5月に「浜中町営軌道」を最後に北海道の簡易軌道(植民軌道)はすべて廃止になりました。 大正14年5月から、根室線厚床から中標津原野まで試験的にはじまった植民・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 42 (江当軌道)
江当(えとう)軌道 大正14年9月に、開発が進む当別村と江別町を結ぶ軌道敷設が認められました。 翌年1月に資本金15万円の江当軌道㈱を設立し、社長に池田一修を選任。工事は同年4月に開始されます。 単線・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 41 (標津線)
標津線は根室線の厚床駅から分岐して別海の大平原を北へ進み、釧網線の標茶駅への中継地である中標津駅に至り、さらに北東に向かってオホーツク海岸の根室海峡に面する標津駅までの69.8キロの鉄路と、中標津駅か・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 40 (SL最後の列車)
SLは鉄道の花形といえるでしょう。 15年ほど前になるかと思いますが、ニセコ駅の近くで観光のSLを見かけました。私が小学生のころまでは鉄道列車と言えば蒸気機関車が当たり前でした。蒸気機関車は北海道の冬・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 39 (瀬棚線)
瀬棚線 長万部町の国縫駅で函館本線から分岐し、渡島半島を横断して檜山振興局管内の瀬棚郡瀬棚町の瀬棚駅に至る路線でした。 1987年(昭和62年)3月16日に廃止されました。 本線開通以前には、国縫駅と・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 38 (天塩線ー現・宗谷本線)
天塩線とは、音威子府から天塩川に沿って天塩の中央を縦断し、先に開通していた宗谷線(のちの天北線)の稚内に連絡する地方線のことです。 音威子府以北の線路選定については、北見国経由か天塩国経由かが議論され・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 37 (宗谷線ーのち天北線)
旭川ー稚内間の建設工事は明治31年6月から始められ、明治36年9月には名寄まで開通しましたが、名寄以遠は日露戦争勃発となり中止されました。 明治39年、樺太南部が日本領土となり地元有志たちによって請願・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 36 (釧路臨港鉄道)
釧路臨港鉄道 臨港線(りんこうせん)は、太平洋石炭販売輸送が運営していた太平洋炭鉱春採鉱と釧路港知人町の臨港を結ぶ、石炭輸送を主とした地方鉄道です。 釧路市の鈴木宗竹ほか6人によって大正12年1月出願・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 35 (旭川市街軌道)
旭川市街軌道 旭川市に存在した路面電車・バスの運営会社。 旭川市は1901年(明治34年)に陸軍第7師団が移設されて以来、軍都として栄えました。師団施設の置かれた近文地区と旭川駅前を結ぶ交通機関として・・・ (続きを読む)