瀬棚線

長万部町の国縫駅で函館本線から分岐し、渡島半島を横断して檜山振興局管内の瀬棚郡瀬棚町の瀬棚駅に至る路線でした。
1987年(昭和62年)3月16日に廃止されました。

本線開通以前には、国縫駅と瀬棚町の間に毎日乗合馬車が運行されていました。1918年(大正7年)には毎日1本、午前8時に国縫と瀬棚から出発し、珍古辺と今金で中継。
到着は瀬棚に午後8時、国縫に午後7時で、料金180銭。冬には馬橇を使いました。

明治43年2月、瀬棚と太櫓の二郡と国縫の有志によって、国縫ー瀬棚間の請願書が提出されました。採択はされませんでしが、鉄道院は明治44年に実地調査を行いました。
国縫側の動きに対して大正2年、八雲においても「八雲ー瀬棚間」の申請書を提出。この二つの分岐点が異なる請願に対して、鉄道院は国縫が分岐点となりました。

大正9年に軽便鉄道としての瀬棚線敷設が決定しました。実地測量は大正12年4月に始まり、工事着手は大正15年6月で、請願運動から16年が経過していました。

工事は国縫停車場を起点に全区間を7工区に分けて進められ、国縫ー花石間16.6キロは昭和4年12月に竣工、営業を開始となりました。
国縫川と利別川の両流域に沿う国縫ー種川間は、本流の屈曲が激しく、線路は山峡に敷設されたが地質がもろく、度々崩壊事故を起こして死傷者を出しました。
工区の現場各所にタコ部屋が作られ、作業員が酷使され命を落としたことで知られています。

最後の工区となった今金ー瀬棚間17.8キロは昭和7年11月に竣工。実地測量から10年目で48.4キロ全線開通となりました。

写真は瀬棚線終点の「瀬棚」で奇岩「三本杉」が見えます