特別豪雪地帯 蘭越町の地名は、アイヌ語の「ランコ・ウシ」が訛ったもので、「桂の木の多い所」という意味。 江戸時代に松前藩はイソヤ場所を置く。天保3(1832)磯谷場所請負人西川順兵衛、北尻別に稲荷・・・ (続きを読む)
せたな町の旅(狩場茂津多道立自然公園)
狩場茂津多道立自然公園 島牧町の海岸国道229号を走り抜けて茂津多(もった)トンネルを出るとせたな町です。 狩場山を中心とした山岳地帯で、これが日本海に落ち込むところに茂津多岬があります。 茂津多トン・・・ (続きを読む)
厚岸町の旅(国泰寺)
国泰寺 釧路から更に東に1時間ほど走ると厚岸の町があります。 厚岸町は、東北海道で最も早く開けたところで、松前藩によるアッケシ場所の開設は寛永年間(1624年~1643年)とされ、文化元年(180・・・ (続きを読む)
浜益区の旅(はまます郷土資料館)
はまます郷土資料館 江戸時代の松前藩は、アイヌと交易する区域を「場所」とよび、1706年に石狩・厚田・マシケの三箇所を設けます。 その後、マシケを二分してマシケ場所(現在の増毛)、ハママシケ・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代6 松前藩の始祖も津軽を渡る
1454年、下北半島田名部の安東政李が渡島半島に渡ります。 この安東氏と行動を共にしていた蠣崎氏も渡るのですが、蠣崎氏のところに転がり込んでいた武田信広も共に渡ります。 この武田が松前藩の始祖といわれ・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代2 アイヌの衣装ではない
夷酋列像はアイヌの衣装ではない! 20年以上前のことだと思いますが「夷酋列像」の絵がフランスで見つかったと報道がありました。描いたのは、松前藩家老蠣崎波響、アイヌ酋長12名の松前凱旋の図ということでし・・・ (続きを読む)