様似町の旅 (はじまり)

この地に和人が住居を構えるようになったのは、1635年に海辺川(うんべかわ)の東金山で採金が開始されたことが始まりでした。 しかし、シャクシャインの乱(1669年)後鉱山は閉鎖となります。 様似・幌泉・・・ (続きを読む)

中札内村の旅 (はじまり)

この地に最初に入植した和人は、富山県中新川郡出身の上丸弥次郎とされています。 明治30年に入り、札内原野の加賀団体入植地と越前団体入植地の中間あたりに茅葺き屋根から始まったといいます。 その後、富山・・・ (続きを読む)

音更町の旅 (はじまり)

この地にはアイヌ人の集落がありました。 明治12年頃に、岩手県九戸郡出身の大川宇八郎がアイヌ人と交易をしながら農耕に携わっていました。和人最初の定住で人柄も良くアイヌ人から慕われていたといいます。 ・・・ (続きを読む)

羅臼町の旅 (はじまり)

1701年、松前藩は霧多布場所(現在の浜中町)を開設しました。 これによって知床のアイヌ人は霧多布で交易を行っていました。 1774年に飛騨屋久兵衛が松前藩から霧多布他3場所の請負人となり、後に羅臼の・・・ (続きを読む)

遠軽町の旅 (旧丸瀬布町)

丸瀬布町(まるせっぷちょう)は、網走支庁管内の中部に位置していた町です。 2005年10月1日、生田原町・遠軽町・白滝村と新設合併で新町名は遠軽町となりました。  町名の由来は、アイヌ語の「マウレセ・・・ (続きを読む)

沼田町の旅 (明日萌の里)

沼田(ぬまた)町名の由来は、開拓の功労者である小樽の米穀商、沼田喜三郎の姓によります。 明治15年に富山から沼田喜三郎は渡道し、小樽で水車精米場を営んでいました。 その後伯爵大谷光瑩の名義で4千㌶の賃・・・ (続きを読む)