沼田(ぬまた)町名の由来は、開拓の功労者である小樽の米穀商、沼田喜三郎の姓によります。

明治15年に富山から沼田喜三郎は渡道し、小樽で水車精米場を営んでいました。
その後伯爵大谷光瑩の名義で4千㌶の賃下げを受け、華族組合農場プランを引き継ぎ明治27年に本願寺農場設置となりました。富山から18戸で入植します。

明治30年、宮崎春次団長は東予団体35戸を率いて移住します。
この頃から水田作りがはじまり、その後、林業が栄え木工場も設置、昭和初年まで年間10万石を超える木材生産を行いました。

明治31年、沼田と一緒に本願寺農場に入った富山の田島五三郎が日高から馬を買い付け畜産が始まり、農耕馬の採用により開拓作業が進みました。

すずらん列車

明治43年、留萌線が開通し沼田市街が開け、大正になると工場も建ち並び、木材・農産物の集散地として活気がでてきました。

昭和に入って、明治鉱業、浅野雨竜炭鉱、昭和鉱業所が稼働をはじめ、昭和10年に札沼線も開通しました。

戦後には40年間掘り続けてきた雨竜炭田も閉山し、浅野地区はダムの下に沈みました。
昭和22年に町制施行しています。

昭和47年札沼線の沼田~新十津川間が廃止されました。

明日萌の里

NHKの朝ドラ「すずらん」のロケ地です。物語の舞台となるのが、JR室蘭本線の恵比島駅で、何故ここが選ばれたかといえば、線路がどこまでも一直線であること。昭和初期にあっては困るようなものが駅周辺にないことでした。
実際の恵比島駅は駅舎が取り壊され、簡易駅舎が置かれた無人駅でした。
ドラマを撮影するにあたりその簡易駅舎を古材で覆い、その横にドラマのための昭和初期の駅舎が再現されました。 ロケ地として、そのまま残されています。

明日萌(あしもえ)という地名は、架空の地名ですがアイヌ語アシリ・モイ(新しい淀み・新しい淵)に由来しているとのことです。