北海道植民軌道は北海道だけの軌道

昭和47年5月に「浜中町営軌道」を最後に北海道の簡易軌道(植民軌道)はすべて廃止になりました。

大正14年5月から、根室線厚床から中標津原野まで試験的にはじまった植民軌道は、昭和20年までに33線、660.5キロが敷設されました。
植民の名称は、北海道の東部や北部が植民地区画され、土地の貸付が始まった明治30年代後半から農業移住者が急増。

しかし、入植先の根室、釧路、十勝、宗谷などは鉄道駅からは遠く離れた辺境地帯でしたから、移住した人たちの生活環境は極端に悪いものでした。
特に、根釧原野は極端に悪く降雪期と融雪期には湿地帯となり、道路は泥沼となり馬車も馬橇も寄せ付けませんでした。

そこで北海道庁は道路や河川敷などの公用地に軌道を敷設し、車両は道庁が準備、動力は地域の農家所有の馬で運行するもので、敷設後10年間は地元住民が自由に使用できるという簡易な軌道を用意したのです。
運営が順調な地域では、利用者の組合員が経営にあたりました。馬車軌道とはいえ、地域の重要な交通機関の役割を担っていたのです。

根室線や枝幸線などは、距離や貨物量などから馬車軌道が困難な路線は、昭和4年から馬力を内燃ガソリン機関車に変更する植民軌道も登場。
こちらは運賃が徴収されました。

写真は「鶴居村ふるさと情報館」の敷地に保存されている村営植民軌道です。