江当(えとう)軌道

大正14年9月に、開発が進む当別村と江別町を結ぶ軌道敷設が認められました。
翌年1月に資本金15万円の江当軌道㈱を設立し、社長に池田一修を選任。工事は同年4月に開始されます。
単線で資金上の都合で架橋を避け、当別市街の手前の当別川から江別町の石狩大橋までの11.2キロで、終点の石狩大橋から江別停車場までは自動車乗り換えによる連絡でした。

営業開始は昭和2年8月。開業時の所有車両はタンク式蒸気機関車2両、ガソリン内燃機関車1両、定員26人の客車3両、そして2t積みの貨車32両でした。
所要時間は40分。石狩大橋ー江別停車場間2.9キロは10分。

運行は、融雪期から降雪期までに限られており、旅客の他に当別川の砂利や上流から流送した木材の輸送で好調でした。
しかし、昭和11年5月、札沼南線石狩当別ー札幌間の開通で業績は急落し廃止しました。