1918年(大正7年)、政友会を率いる原敬によって日本国初の政党内閣が成立しました。原内閣の政策は4つありましたが、その一つに「交通機関の整備」がありました。 工業化から取り残された地方や農村の生産・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 72 (京極軽便線)
明治43年4月に公布された軽便鉄道法は、地方交通の安上がりな速成をめざした鉄路でした。軌間寸法や勾配の制限も穏やかで出願手続きも容易でした。 ところが、会社や事業が主体となるため敷設をめぐって係争が絶・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 71 (東倶知安軽便鉄道)
明治43年4月に公布された軽便鉄道法は、地方交通の安上がりな速成をめざした鉄路で、軌間寸法や勾配の制限も穏やかで出願手続きも容易でした。 ところが、会社や事業が主体となるため敷設をめぐって係争が絶えま・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 70 (定山渓鉄道2)
明治43年4月に公布された軽便鉄道法は、地方交通の安上がりな速成をめざした鉄路でした。軌間寸法や勾配の制限も穏やかで出願手続きも容易でした。 ところが、会社や事業が主体となるため敷設をめぐって係争が絶・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 69 (定山渓鉄道1)
明治43年4月に公布された軽便鉄道法は、地方交通の安上がりな速成をめざした鉄路でした。軌間寸法や勾配の制限も穏やかで出願手続きも容易でした。 ところが、会社や事業が主体となるため敷設をめぐって係争が絶・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 68 (美唄軽便鉄道)
美唄軽便鉄道 明治43年4月に公布された軽便鉄道法は、地方交通の安上がりな速成をめざした鉄路でした。軌間寸法や勾配の制限も穏やかで出願手続きも容易でした。 ところが、会社や事業が主体となるため敷設をめ・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 67 (根室線)
根室線(ねむろせん) 根室線は根室本線とは違います。北海道の道東を旅する時は、かつてあった「鉄路」を知っておくと旅が更に面白いものになるでしょう。 根室線とは根室ー別海ー標茶ー中標津ー標津の5か町村に・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 66 (枝幸線・幌別線・本幌線)
宗谷地方の中頓別村(現在の中頓別町)の小頓別から歌登村(2006年に枝幸町と合併)を経て、オホーツク海沿岸の枝幸村(現在の枝幸町)までの植民軌道です。 昭和2年以降、歌登村が開拓移住民の入植が増加し、・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 65 (問寒別線)
問寒別線(といかんべつせん) 宗谷本線の問寒別駅前から問寒別川上流の上問寒別に至る13.3キロの植民軌道です。 昭和4年7月に工事がはじまり、翌5年9月に完成し馬力で使用開始となりました。農産物をはじ・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 64 (幌延線)
幌延線(ほろのべせん) 宗谷本線の幌延駅前を起点として、南沢を経て北沢(現在の豊幌)までの植民軌道です。 下エコロベツ川上流の南沢や北沢には明治40年ころから入植がはじまります。 昭和初期には120戸・・・ (続きを読む)