幌延線(ほろのべせん)

宗谷本線の幌延駅前を起点として、南沢を経て北沢(現在の豊幌)までの植民軌道です。

下エコロベツ川上流の南沢や北沢には明治40年ころから入植がはじまります。
昭和初期には120戸ほどに達しており幌延線が熱望されていました。
昭和3年から幌延ー北沢間13.8キロの敷設がはじまりましたが、熊越峠付近の地質が軟弱なうえ、法面が急なため崩落事故で11人が死亡する事故が起きました。
使用開始は昭和4年12月でした。

 

幌延線は当初から北見線(後の天北線)沼川停車場に通じる計画でした。
ところが、昭和5年から3年間にわたって冷害凶作に襲われた沼川地区では、救農事業としての軌道を道庁に陳情。昭和7年10月から各部落ごとに工区を切って着工し、昭和8年11月には沼川ー上福永間14.9キロが開通。翌9年8月には上福永ー北沢間6.2キロが開通。
これで幌延ー沼川間34.9キロが結ばれ、線名も幌沼線と改称されました。

戦後は離農で利用する人も減り、熊越峠の難所が崩落するなどで昭和23年ころには運行不能の状態もありました。昭和23年には幌延ー北沢間は廃止。
残る有明ー沼川間13.4キロは沼川線と改称し運行を継続しましたが、昭和39年に廃止になりました。