宗谷地方の中頓別村(現在の中頓別町)の小頓別から歌登村(2006年に枝幸町と合併)を経て、オホーツク海沿岸の枝幸村(現在の枝幸町)までの植民軌道です。

昭和2年以降、歌登村が開拓移住民の入植が増加し、昭和3年4月に、枝幸ー小頓別間の枝幸線が着工となります。
昭和4年12月に小頓別ー上幌別(歌登市街地)間19.1キロが完成、翌5年9月には上幌別ー枝幸港間16.1キロが完成し、それぞれ馬力で開始しました。
馬力で開始しましたが、伐採木材の輸送が多く昭和6年、ガソリン動車を導入。

昭和8年11月には上幌別から分岐して幌別線上幌別6線ー志美宇丹間12.6キロが完成。
昭和10年には、上幌別12線から分岐の本幌別線上幌別12線ー本幌別27線間10キロが完成。

このように、植民軌道枝幸線・本幌別線・幌別線は歌登村の大動脈として活躍してきましたが、昭和23年に植民軌道から簡易軌道に改められ、運営が道庁から運行組合に移されました。
これまで補修がほとんどなされておらず、組合での莫大な支出は不可能で昭和26年12月には村営移管となり、歌登村営軌道として運行が続けられました。

沿線の人口減少と自動車の普及で赤字となり、枝幸線枝幸ー歌登間は昭和26年、本幌別線は昭和31年、幌別線は昭和44年、歌登線歌登ー小頓別間は昭和45年に廃止になりました。