1918年(大正7年)、政友会を率いる原敬によって日本国初の政党内閣が成立しました。原内閣の政策は4つありましたが、その一つに「交通機関の整備」がありました。

原敬

工業化から取り残された地方や農村の生産力を高め、都市との格差を是正するもので、これが大正8年4月に「地方鉄道法」として現れました。
この法律は、これまでの私設鉄道法と軽便鉄道法を統一したもので、これ以後、民営鉄道はこの地方鉄道法の適用を受けることになります。

何が違うのかといえば、補助金の優遇策でした。これまでも国の補助金が出ていましたが、地方鉄道補助金に拓殖費を上乗せして交付されるものでした。
大正11年に拓殖費から補助金が交付され、しかも大正9年にまでさかのぼって交付されることになり、民営軌道の設立を勢いづかせます。

昭和初期にかけて地方鉄道は発展することになります。全国で178線が予定されましたが、北海道の路線は22線組み込まれます。
これまでも地方線は一部書いてありますが、この22線について書いていきます。