問寒別線(といかんべつせん)

宗谷本線の問寒別駅前から問寒別川上流の上問寒別に至る13.3キロの植民軌道です。
昭和4年7月に工事がはじまり、翌5年9月に完成し馬力で使用開始となりました。農産物をはじめとして、木材、砂クローム、石炭などが馬力で輸送されましたが、泥炭地帯のため道床の沈下や枕木の腐敗が激しく、しかも水害に度々見舞われ橋梁が破損するなどして維持が困難になりました。
このため、昭和15年には全線が休止となりました。

ところが、上問寒別の奥地で砂クロームの採取のために軌道を利用していた日本クローム㈱が、昭和16年に軌道を借り受けて修繕し、軌道を4.3キロ奥地に延伸して使用。
また、上問寒別の山地には石炭層があり、鉱区権を持つ天塩鉱業㈱と道庁、運行組合が協議し、天塩鉱業が問寒別線の一切を借り受けて運営に当たることになりました。

天塩鉱業は路盤強化を図り、昭和17年9月には馬力をやめて、蒸気機関車とガソリン動車を導入。更に、日本白金クロームが施設した軌道4.3キロを買収。
昭和21年には砂クローム採取は中止になりましたが、幌延炭鉱の採炭がはじまり、専用軌道を延伸して山元からの石炭輸送も始まりました。

昭和27年、開発庁と道庁の斡旋で幌延村が村営簡易軌道として運営にあたることになります。昭和29年にはロータリー式排雪車を導入して冬期間も可能にし輸送力の増強を図りました。

しかし、昭和33年に幌延炭鉱が閉山し収入が激減。沿線の農家も減少し収入は年々減少の一途となり、昭和46年5月、40年間にわたって地域住民の足となって活躍した問寒別線は廃止となりました。