晩成社出発 明治16年(1883年)4月6日に13戸27人が横浜に集結。 北海道に向けて4月10日、午後6時、煙をはく船は出港しました。 4月14日、午前11時、雨上がりの函館に入港。 27名の・・・ (続きを読む)
十勝の旅 18 (大津港 )
大津港 依田勉三が十勝国に入植した時代は大津(現豊頃)が行政の中心でした。 開拓使は、明治11年に函館―根室間を開設し寄港地に大津がありました。明治13年2月の大津村管轄の人口は307戸・1307人・・・ (続きを読む)
十勝の旅 17 (ケプロン報文の7条)
ケプロン報文の7条 依田勉三を魅了した「ケプロン報文」とは、開拓使長官となる黒田清隆がアメリカから招いた開拓使最高顧問のケプロンが北海道の基礎調査を実施し、それに基づいて産業政策をまとめたものです。・・・ (続きを読む)
十勝の旅 16 (晩成社設立)
晩成社を設立(資本金2億円) 明治15年(1882年)、合資会社晩成社を設立し資本金は5万円(今に換算すると2億円)としました。 政府から未開地一万町歩を無償で払い下げを受け、15年計画で開墾しよう・・・ (続きを読む)
十勝の旅 15 (依田勉三28歳)
明治14年(1881年)、依田勉三28歳の時に下調べで北海道に渡りました。 横浜から汽船で函館に着いたのが7月末日。 函館から長万部を経て室蘭に陸行し、そこから函館に船で戻ります。 (雇ったアイヌが強・・・ (続きを読む)
十勝の旅 14 (ケプロン報文と慶応ボーイ)
ケプロン報文と慶応ボーイ 静岡県西伊豆の依田勉三は18歳で横浜に出て宣教師ワッデルの英学塾に入り、 2年後に慶応義塾で西洋学を学び福沢諭吉の教えを受けていたが胃の病気と脚気のため2年で中退。 地元伊・・・ (続きを読む)
十勝の旅 13 (十勝のルーツ)
十勝のルーツ 十勝は現在19の市町村に別れていますが、この19の村に開拓に入った団体を時系列で並べてみました。 20ヶ所ありますが、忠類は現在幕別町に合併されています。 最初に入植した依田勉三率いる晩・・・ (続きを読む)
十勝の旅 12 (オベリベリ)
帯広(オベリベリ) 十勝は現在19の市町村で区割りされており、一市16町2村で中心地が帯広市です。 帯広市は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県(南伊豆)出身の依田勉三率いる晩成社・・・ (続きを読む)
十勝の旅 11 (砂金)
「砂金 歴舟川(れきふねがわ)」 北海道では砂金の採掘が70ヶ所近く確認されています。 まさに黄金の島でした。 今は昔となりましたが、北海道を回ると町おこしの一つとして「砂金掘り体験」や「砂金ラーメン・・・ (続きを読む)
十勝の旅 10 (十勝モンロー主義)
「十勝モンロー主義」 広大な十勝平野は日高山脈で陸路は遮断され、太平洋沿岸は遠浅のため港としての施設がなく陸の孤島となっていました。 この十勝に「十勝モンロー主義」という独特な思想が生まれまし・・・ (続きを読む)