晩成社を設立(資本金2億円) 

明治15年(1882年)、合資会社晩成社を設立し資本金は5万円(今に換算すると2億円)としました。
政府から未開地一万町歩を無償で払い下げを受け、15年計画で開墾しようというものです。
開墾されれば大地主となります。
土地の無い伊豆からみれば魅力的な事業計画でした。
依田勉三は専務となり、出資役員の中でただ一人の現地責任者となります。
 
勉三の学友鈴木銃太郎と鈴木の父・鈴木親長と共に横浜港から北海道に向かい札幌県庁に開墾の許可を願い十勝に向かいました。
 (願いでをしただけで、まだ認可を受けたわけではありません)
十勝国河西郡下帯広村(帯広市)を開墾予定地と定め、鈴木銃太郎と鈴木親長は帯広に残り勉三は帰国しました。
その頃の帯広にはアイヌが10戸程と和人が1戸あるのみでした。

しかし、この時「飛蝗(トノサマバッタ)」が飛来することは知りませんでした。

写真は晩成社