ケプロン報文の7条 

依田勉三を魅了した「ケプロン報文」とは、開拓使長官となる黒田清隆がアメリカから招いた開拓使最高顧問のケプロンが北海道の基礎調査を実施し、それに基づいて産業政策をまとめたものです。

明治4年11月に提出された初期報文の骨子は次の通りです。

1. 北海道の気候や土壌は農業に適しており、また、開発できる資源も豊かにある。
2. 北海道の主都として札幌を考え、札幌から室蘭や石狩までの交通路をつくる。
3. 札幌に工場を設け、機械の力を利用する。
4. 開拓にあたり、地形や地質の測量をおこなう。
5. 北海道に合った農業や生活を、日本の農民がつくりあげることは簡単なことではないので、欧米の農民を移住させ、それを見習わせる。
 6. くだものの栽培に適した土地なので、各国から苗木を取り寄せ、植えてみる。
 7. 北海道と東京の官園に、付属の農学校を設ける。
 
現在の北海道各地を回ってみると、この時に実施されたものが多いのに驚きます。
依田勉三が偶然読んだ「ケプロン報文」に対する先見の明は正しかったといえるでしょう。

写真は、札幌の大通公園にケプロンと相対して立つ黒田清隆の像です