道ができて町ができる 開拓が始まるのは明治維新後なので、北海道の歴史は浅いといわれます。 しかし、北海道の歴史は本来応仁の乱くらいまで遡らなければなりません。 明治以前は蝦夷といわれていました。蝦夷・・・ (続きを読む)
十勝の旅 38 (相次ぐ団体の入地)
ちなみに、明治29年以降次々と団体の入地が続きます。 芽室町 愛知団体 明治29年 池田町 池田農場 明治29年 豊頃町 興復社 明治30年 本・・・ (続きを読む)
十勝の国 37 (関寛斎 )
関寛斎 千葉の東金生まれ。 順天堂大前身である佐倉順天堂で医学を学び、徳島で藩医となり、戊辰戦争で名医といわれた関寛斎です。 余生の安逸を捨て、それまでの全ての財産を十勝の辺境地に注ぎ込みま・・・ (続きを読む)
十勝の旅 36 (陸別町)
陸別町 陸別町とは十勝の最北部で北見市との境にある町です。 2012年、ユニクロが町民全員約3,000名分のヒートテックを贈ったことで話題になりました。ようするに、日本一寒い町です。 明治35年・・・ (続きを読む)
十勝の旅 35 (移住者の人たち2)
大地震、大洪水の災害 明治22年に奈良県十津川村を襲った大水害は、全国でも起きていました。 明治24年(1891年)、岐阜県・愛知県を中心に大地震が起き、死者7000人以上という被害をもたらします。加・・・ (続きを読む)
十勝の旅 34 (移住者の人たち1)
移住者の人たち 1 明治16年の「晩成社」や明治29年の豊頃に入地した福島県の「興復社」の人たちは、貧しい人たちではありませんでした。 貧しい農民の増加 生まれ育った土地を離れるには、いろいろな事情が・・・ (続きを読む)
十勝の旅 33 (お雇い外国人 )
お雇い外国人 新政府は新しい国づくりのために海外に人材を求めました。 この外国人のことを「お雇い外国人」といい、約20年間で 2690人の雇用となります。 この中で北海道の開拓使は78名の外国人を招・・・ (続きを読む)
十勝の旅 32 (ハルニレの木 )
ハルニレの木 ハルニレの漢字表記は春楡で春に花が咲くことからとされています。日本産ニレ科の落葉高木で、樹高は30メートル、直径は1メートルに達します。特に北海道のように北方が多く、これに対し、・・・ (続きを読む)
十勝の旅 31 (日本人開拓のプロ)
日本人開拓のプロ 幕末に大友亀太郎が北海道開墾に派遣されます。幕府は二宮金次郎を指名してきましたが年齢的に無理で、推薦した代行でした。 維新後、新政府がお雇い外国人を70数名北海道に注ぎ込みますが、・・・ (続きを読む)
十勝の旅 30 (報徳思想の継承 )
報徳思想の継承 二宮尊徳(金次郎)の報徳思想が北海道で継承された地区は3ヶ所あります。 幕末の道南地区(木古内と北斗市)と札幌地区、そうして十勝国の豊頃町でした。 明治維新の10年前(185・・・ (続きを読む)