道ができて町ができる 

開拓が始まるのは明治維新後なので、北海道の歴史は浅いといわれます。
しかし、北海道の歴史は本来応仁の乱くらいまで遡らなければなりません。
明治以前は蝦夷といわれていました。蝦夷に興味のある方は「蝦夷の時代」も書いていますので、そちらも読んでください。

短いといわれる北海道ですが、開拓が始まって10年ほどで基本方針ができてしまいました。
開拓使長官の黒田清隆は次官の時に樺太の視察を行っています。この視察で、ロシアの南下政策に危機を感じました。未開地を拓くには、すでに開拓の経験をした国の人たちに支援をしてもらうことが最善であると考えます。
その結果、気候も似ているアメリカに出向きアメリカ合衆国政府の農務局長であるケプロンに白羽の矢を立てました。日本でいえば農林水産大臣です。
局長の職を辞めさせて連れてくるのですから破格の報酬でした。黒田清隆は一流のヘッドハンターでもありました。 

北海道がカリフォルニアに似ていると言われる人が多いのは当然です。湿度が低くカラッとしているところが似ていることもありますが、西海岸開拓のシナリオが、そのまま導入されているからです。
アメリカ西海岸は、まずは道ありきから始まります。砂漠地帯に道(フリーウェイ)を作り、道の出入り口に大きなショツピングセンターを建設し、その周りに住宅が建てられて町ができていくのです。 
町は道から始まるのであって、町と町をつなぐのが道ではありませんでした。

北海道の基礎を作ったのは大胆に言えば3人といえるでしょう。
黒田清隆、ケプロン、クラークです。

十勝の旅を終わります。読んでいただきありがとうございました。