晩成社出発

明治16年(1883年)4月6日に13戸27人が横浜に集結。
北海道に向けて4月10日、午後6時、煙をはく船は出港しました。
4月14日、午前11時、雨上がりの函館に入港。   

27名の中で北海道に上陸したことのあるのは、依田勉三だけでした。
他の者は初めての来道です。
津軽海峡から函館港に到着後、更に延々と東にある「十勝国」という陸の孤島へどのようにして、たどり着いたのか興味のあるところです。
 
依田勉三は27人が同じ道程をとって同じ日に入地すると思っていました。
しかし、早くも函館で勉三の意見に異を唱えるものも出てきます。
陸路を嫌い海路で行く者たちと二手に別れたのです。
いつの時代も同じで、人が集まればナンバー2が問題となります。

陸路も海路も幌泉(襟裳岬・現黄金道路)が命がけの旅となりました。
1902年(明治35年)の青森『八甲田山死の彷徨』の夏バージョンが待ち構えていました。

写真は明治9年の函館港