帯広(オベリベリ) 

十勝は現在19の市町村で区割りされており、一市16町2村で中心地が帯広市です。
帯広市は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県(南伊豆)出身の依田勉三率いる晩成社一行が、明治16年に入植したのが始まりでした。
依田勉三が開拓者として最初に申請をだした土地が帯広(オベリベリ)であったところに運命を感じます。

依田(よだ)家は、織田信長に敗れた武田勝頼の重臣で、一族は伊豆に逃れて帰農し、明治のころには南伊豆で大事業家となっていました。
帰農した旧大沢村(現松崎町)は、西伊豆の土肥から車で石廊崎に向かって30分くらいの所にあります。 
依田勉三が裕福な豪族の三男に生まれたのにも係わらず、何故北海道に開拓者として挑んだのかを様々な人が書かれているが憶測でしかありません。
しかし、73歳で亡くなる生涯を通してみると彼の一貫した思想が見えてきます。

まず晩成社の社名がそれを表しています。
晩成とは「大器晩成」からとったもので、北海道開拓の事業は、目先の生活のための事業ではないということです。その覚悟は、生涯を通してあらゆる場面でみることができます。