福山城(現在の松前城)が完成した安政元年(1854)3月、幕府はアメリカ合衆国提督ペリーの圧力に服し、日米和親条約を締結しました。この条約で伊豆の下田と、箱館を開港することになります。 ペリーの艦隊は・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代80 (松前藩第12代藩主・松前崇広)
松前藩主の幼君が続きましたが、武芸に優れ英邁な藩主が登場します。 現在の松前城は12代藩主崇広の時代に作られた城です。 松前崇広(たかひろ) 文政2年(1829年)、9代藩主・松前章広の六男として福・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代79 (松前藩主11代目昌広)
天保10年(1839)8月24日、松前藩主10代目良広が享年17死去。弟・昌広が養子となり15歳で家督を継ぎます。同年11月1日、11代将軍・徳川家斉にお目見えし、天保11年3月18日、従五位下志摩守・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代78 (松前藩主10代目良広)
天保4年(1833)、松前藩主9代目章広が死去。享年59でした。 家督は見広の長男・良広(よしひろ)が継ぎます。 良広は文政6年(1823年)、9代藩主・松前章広の次男・松前見広の長男として誕生。とこ・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代77 (天保の大飢饉)
積丹半島の神威岬 天保の大飢饉(天保2年/1831年)に遭遇して松前藩も困りましたが、奥羽の窮民が松前藩禁制をよそに大量に蝦夷地に流れ込みました。 松前藩は1691年(元禄4年)から、神威岬より奥への・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代76 (福山に戻った松前藩)
いま「蝦夷の時代」は、江戸幕府第11代将軍徳川家斉(在位:1787年~1837年)の時代を書いています。 梁川(やながわ)に移封された松前藩は、松前に戻るために賄賂を交えて様々な復領運動を展開していま・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代75 (高田屋嘉兵衛3)
昭和61年に兵庫県津名港で辰悦丸が復元されました。企画したのは青年会議所で、2500キロ20港を巻き込んで江差港まで回航します。この北前船を偶然八戸港で見る機会がありました。小さな船で、高田屋嘉兵衛の・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代74 (高田屋嘉兵衛2)
明和6年(1769)、菜の花でうずまる淡路島の貧家の子として生まれますが、船乗りになって頭角を現していきます。やがて操船技術と商品知識を得た彼は蝦夷地との交易に情熱を燃やし、寛政9年(1796)28歳・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代73 (高田屋嘉兵衛1)
いよいよ高田屋嘉兵衛の登場です。司馬遼太郎は、「幕末の中で世界に恥じない日本人は彼をおいていない」と評価し、壮大に描いた長編小説「菜の花の沖」を書いています。シリーズで紹介したいと思います。 北海道・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代72 (ゴローニン少佐)
文化8年(1811)ロシア船は国後沖に姿をみせました。 ゴローニン少佐を艦長とするジアナ号でした。 蝦夷地は幕府の厳戒体制を敷いており、しらずに国後に上陸したゴローニンら8人は、たちまち捕らえられまし・・・ (続きを読む)