ブログ「蝦夷の時代」を書き終えました。 日本人(和人)が初めて蝦夷に上陸したのは鎌倉時代(1216年)でした。 蝦夷はアイヌ民族が定住していた大地です。 和人とアイヌ民族との壮絶な戦いは三回ありました・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代90 (松前藩最後の藩主・第14代松前修広)
松前 修広(ながひろ) 松前藩最後の藩主 慶応元年(1865年)9月14日、13代藩主・松前徳広の長男として江戸本所横網町別邸にて誕生。 明治元年(1868年)10月、榎本武揚ら旧幕府軍に敗れて父と共・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代89 (箱館戦争)
明治元年(1868)旧10月20日(幕末)、徳川家臣・榎本武揚は軍艦8隻にて将士役3000名を率いて鷲ノ木村に上陸、 22日に先発隊が官軍の攻撃を受けて応戦したため、土方歳三と大鳥圭介の2隊に分かれて・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代88 (幕末の蝦夷地開発2)
各藩の蝦夷地開発は財政上の理由もあって庄内藩のほかは、あまり実績をあげることができません。 天塩方面をうけた庄内藩は、積極的に移民を入植させ、浜益場所に8カ村、留萌場所に2カ村を開き、稲・麦などの農耕・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代87 (幕末の蝦夷地開発1)
箱館奉行所は西洋技術を取り入れたり、出貿易を計画したりと積極的に蝦夷地政策を展開しました。 農事についても外国人の招聘を行いましたが、庵原函斎(いばらかんさい)の存在が大きくあります。彼は、松前奉行か・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代86 (五稜郭と武田斐三郎)
開港場の箱館には英語の教授所やフランス語の私塾も設けられ、ロシア語はロシア領事や司祭が普及に尽力し、まことに多彩な町となりました。 箱館に入った西洋文明は数多く見られます。 西洋型造船、五稜郭を代表と・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代85 (松前藩第13代藩主・松前徳広)
松前徳広(まつまえ のりひろ) 慶応2年(1866年) ~ 明治元年(1868) 享年25歳。 天保15年(1844年)11代藩主・松前昌広の長男として福山城にて誕生。松前崇広(たかひろ)の養子となり・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代84 (老中松前崇広を免職)
第12代藩主松前崇広(たかひろ)は、藩として初めて老中に就任した人物です。 松前崇広は西洋通であったため、文久3年(1863年)4月23日に寺社奉行に起用されます。その後、元治元年(1864年)7月7・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代83 (武田斐三郎)
幕府の開国は消極的なものでしたが、箱館奉行所の竹内保徳・堀利煕、さらに村垣範正・津田正路は、連名で清国およびロシア領への出貿易と研究調査を建議します。 また、安政6年(1860)に教授武田斐三郎(後に・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代82 (箱館は外国人の溜まり場)
松前藩は3万石の大名 時は徳川14代将軍家茂の時代で、明治維新まで後14年です。 安政元年(1854)、幕府は箱館開港を決定すると箱館近辺を松前藩領地から取り上げ、広大な東西蝦夷地の警備を考えて箱館奉・・・ (続きを読む)