濃昼(ごきびる)山道 「ごきびる」とはアイヌ語で「岬の陰・水渦巻く所」という意味です。 1854(安政元)年、ロシアと締結された日露和親条約では千島列島における国境問題は線引きされましたが,樺太は棚上・・・ (続きを読む)
名寄市の失われた風景 (昭和39年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 77 (早来軌道)
早来軌道(はやきたきどう) 胆振地方の早来と厚真(あつま)を結ぶ軌道で、元は三井物産合名会社が木材運搬のために馬車軌道として明治37年に敷設していたものを改良して一般運輸営業する軌道でした。 大正11・・・ (続きを読む)
厚田村から 7 (厚田資料館)
かつての厚田村の様子を伝えるための資料室が厚田にありました。 その厚田資料室のあった場所に、平成30年(2018)4月27日道の駅石狩「あいろーど厚田」が建てられました。道の駅に珍しいエスカレーターが・・・ (続きを読む)
湧別町の失われた風景 (昭和43年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 76 (沙流軌道)
王子製紙は鵡川、沙流川の上流にあたる国有林(針葉樹)の伐採について道庁と払下げ契約をしていました。 苫小牧軽便鉄道は鵡川と佐瑠太(現在の富川)まで来ており、両河川を利用して流送る計画でした。ところが、・・・ (続きを読む)
雄武町の失われた風景 (昭和40年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
厚田村から 6 (北海道の縮小版)
厚田村は明治以降、異色の人物を生んでいる村です。 全国から移民をしてきた北海道の縮小版ともいえるかも知れません。 そのような中に、梅谷十次郎(通称斉藤鉄太郎又は鉄五郎)がいました。彼は子母澤 寛(本・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 75 (青函連絡船)
鉄道が国有化され、青函航路の輸送量が急増しました。青森と函館に輸送しきれない貨物が山積みになりました。 鉄道院では「客載貨車渡船」の建造を決定します。 函館には大正11年8月に第一、第二の岸壁工事がは・・・ (続きを読む)
厚田村から 5 (厚田村聚富)
明治時代に入ると、本州から続々と集団移民が始まり、厚田にも多くの人々が入植してきました。 明治4年(1872)以降、山形県14戸をはじめとし山口県127戸、石川県42戸、兵庫県30戸のほか、南部団体(・・・ (続きを読む)