道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

雄武町 1965年(昭和40年) 12分 白黒 音声なし  

おうむ町名の由来は、アイヌ語の「オムイ」(河口が塞がるの意)からで、雄武川の河口は、嵐の時には、川から流れ出る水よりも、海から打ち寄せる波のほうが強く、河口が塞がってしまうという意味のようです。

明治5年(1872年)に紋別郡10ヶ村のひとつとして雄武・沢木・幌内の3村が誕生します。明治17年ごろ、青森県東津軽出身の苫米地元次郎が雄武に定住し、同じころやはり青森県の藤嶋福治が幌内に入地し駅逓取扱人となり、後に郵便局長になりました。
以後、新漁場として開発された雄武地区に人口が急増し、明治33年には紋別村より分村して雄武外3ヶ村戸村役場が設置されます。大正4年に沢木村・幌内村を合併して2級町村制が敷かれた後、昭和23年に現在の町制が施行され、今に至ります。

映像は12分と短く、音声もありませんので詳しい内容は分かりませんでした。
車が砂利道を走り、道路標識に「OMU・T」が映ります。ここから雄武ということなのでしょう。
最初に映されたのは「神社」でした。短いフィルムの中で、この神社に時間を取って映されています。おそらく開拓時代の云われがあるのでしょう。ナレーションを聞きたいところです。

車は、街中を走り商店街が出てきます。そうして、漁港に到着。
リヤカーに大きな石を積み込んでいます。積み終わると海に伸びている堤防を走っていきました。漁港の改良工事なのでしよう。漁師の人たちと思われる若者が埋め立てを行っています。
漁船が漁港に到着すると、タラバカニが下ろされ、浜では女性がカニの身を取り出しています。それを缶詰工場で缶に入れ箱詰めにして出荷しています。

大きな牧場とサイロが映ります。牛舎もありますが、鶏卵場の内部作業が紹介されていました。
材木⇒森で伐採された大木を町まで運び、大木置き場に積み上げられます。
この風景は北海道では良く見かけられます。雄武にはまだ木材工場がなかったようです。名寄からの軽便鉄道があったでしようから、鉄道で運ばれていったのではと思います。

現在の雄武
オホーツクの海岸線(32Km)沿いに伸びる雄武町は、沢木、雄武、元稲府、幌内の4つの港をもつ港町でメジカ(秋サケ)、ホタテ、毛ガニなどの海の資源が豊富なところで、育てる漁業にも力を入れています。
また、酪農業も盛んで大規模草地をはじめ、グリーンの草地には乳牛、そして肉用牛の育成牧場があり、自然ののどかさを味わう事が出来るところです 

史蹟日の出岬灯台跡
ボートに男が5人乗り海を走ります。これはおそらく沢木漁港を出発したのでしょう。どこに行くのかと思えば眺めの良いところに到着しました。ここは日の出岬でした。
今は総ガラス張りの展望台を設置した海浜公園がありますが、当時の映像にはそれらはありません。ただ、大自然のままの岬です。

中学校
プラスバンドの練習が教室であり、時間をとって映しています。男子生徒の中に一人だけ女子生徒がおりました。                                   

以上