鉄道が国有化され、青函航路の輸送量が急増しました。青森と函館に輸送しきれない貨物が山積みになりました。

鉄道院では「客載貨車渡船」の建造を決定します。
函館には大正11年8月に第一、第二の岸壁工事がはじまり大正13年10月に完成します。食堂や理髪室、特別室などがある鉄筋コンクリート三階建ての函館待合所ができました。

青森、函館両港の海陸連絡設備としての桟橋も完成し、船客とともに車両航送が可能になりました。
大正13年5月から新造の連絡船四隻で、翌年8月にかけて開始されました。

客載貨車渡船「翔鳳(しょうほう)丸型」といわれるもので、船名は「翔鳳丸」「飛鸞(ひらん)丸」「津軽丸」「松前丸」、旅客定員895人、貨車積載数15トン車25両の同型の船でした。

運行時間は4時間30分で、客船の「比羅夫(ひらふ)丸」と「田村丸」に比べるとやや時間はかかりますが、貨車を積んで津軽海峡を乗り切るというのは優秀で、青函間の輸送力を大幅に増強しました。

写真は飛鸞丸です