明治時代に入ると、本州から続々と集団移民が始まり、厚田にも多くの人々が入植してきました。

明治4年(1872)以降、山形県14戸をはじめとし山口県127戸、石川県42戸、兵庫県30戸のほか、南部団体(岩手、青森県)、新潟県などからも入植者が相次ぎます。

望来(もうらい)、聚富(しっぷ)、発足(はったり)、正利冠(まさりかっぷ)などで開墾が進みました。

 

厚田村聚富(しつぷ)

明治4年4月、本庄陸男の小説「石狩川」にある仙台藩岩出山支藩の主従が最初に入植した土地です。
43戸・180名が一年半におよぶ不自由な生活に耐え、やがて当別に新天地を求めて移っていきました。
平成8年10月、厚田村の聚富側に「伊達邦直主従北海道移住の地」碑が建ちました。
碑の石は、郷里・宮城県岩出山町産出の稲井石(黒色)を使用しています。  

厚田は、明治時代から昭和初期まで鰊漁で栄えました。
出稼ぎの漁師でにぎわった明治14(1881)年の人口は1万2000人を超えたと記録にあります。