道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 47 (真狩線)
真狩線 函館本線の狩太(現在のニセコ駅)駅前市街と羊蹄山南麓の真狩別市街を結ぶ植民軌道です。 真狩別村(現在の真狩村)の開拓がはじまったのはマッカリ原野の植民地区画が選定された明治27年からです。明治・・・ (続きを読む)
十津川人 10 (これからどうする)
後で分かったことですが、一夜のうちに出現した湖は37、そのうちのいくつかは何年ものあいだ水をたたえていたといいます。小さな山崩れはかぞえきれず、幅50間(約90m)を超える大崩れは1800カ所をかぞえ・・・ (続きを読む)
上富良野町の失われた風景 (昭和40年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 46 (養老牛線)
標津線の計根別駅と、標津川に沿って北西に上った養老牛(ようろううし)を結んだ植民軌道でした。 中標津原野の養老牛に移住者が入植したのは昭和4年ですが、3年後の昭和6年には低温、多雨、霜で凶作となり、離・・・ (続きを読む)
十津川人 9 (十津川村豪雨災害)
明治22年(1889)8月19日未明から20日にかけては台風接近に伴う集中豪雨が紀伊半島を襲いました。 8月19日から24時間降水量は推定1000㎜大規模な山の崩壊1080か所、河川閉鎖による天然ダム・・・ (続きを読む)
増毛町の失われた風景 (昭和39年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 45 (忠類線)
「忠類」と言えば十勝管内の忠類村(現在は幕別町)と思いきや、鉄路となれば現在の標津郡標津町の川北地区から北標津地区を経て古多糠地区へと通じていた路線です。 現在の標津町内になりますが、植民軌道根室線の・・・ (続きを読む)
十津川人 8 (十津川村の位置関係)
十津川村は日本の秘境といわれていますが、訪ねた人は少ないと思います。 かつては1万人ほどが暮らす村で、隠れ家的存在でもありました。逃亡者となった平家一族や源義経、南北朝時代の皇族・忠臣、幕末には新選組・・・ (続きを読む)
松本十郎を加えました
北海道ゆかりの人たちに「松本十郎」を加えました。 明治時代初期に活躍した庄内藩士の大判官で、アイヌの人たちも「アツシ判官」と称されて敬意を払われたといいます。 ・・・ (続きを読む)