新天地 入植の二日目 まず家のまわりを広げるところから始まった。 打ち寄せる笹の波に、小屋は押し流されでもするように見えた。それに暗い。 昼食のとき、小屋の前に立って、ため息をついた。わずかの空き地が・・・ (続きを読む)
稚内市の失われた風景 (昭和40年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 50 (居辺線)
居辺線(おりべせん) 現在の中川郡池田町内の省線ー後に国鉄ー池北線(⇒北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線⇒廃止)の高島駅前から現在の河東郡士幌町(旧士幌村)東南の下居辺地区へ通じていた18.8キロの植・・・ (続きを読む)
十津川人 13 (空知太(滝川)に到着)
日本一長い直線道路!美唄~滝川29.2kmコース 国道12号を走ると、美唄から滝川間に直線道路があります。この道は囚人の手で開削されました。森林地帯の真ん中へ広い直線道路をつけるのは容易なことではあ・・・ (続きを読む)
厚岸・浜中村の失われた風景 (昭和40年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 49 (貫気別線)
現在の沙流郡平取町内の国道237号沿いにある荷負(におい)地区と、荷負の東にあたる額平川の上流にある貫気別(ぬきべつ)地区とを結ぶ、13.4キロの植民軌道です。 貫気別の東には「びらとりすずらん群生地・・・ (続きを読む)
十津川人 12 (北海道をめざす)
明治22年(1889)10月18日に移民団が北海道をめざして出発しました。 災害が起きてから二か月後のことです。村人は着の身着のままで持ち物さえろくにありませんでした。しかも神戸までは徒歩での移動。こ・・・ (続きを読む)
芦別市の失われた風景 (昭和39年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 48 (斜里線)
現在の斜里郡斜里町から海岸沿いに東進し、同町内の知布泊に達していた路線です。 当路線には「斜里」「東斜里」「一本木」「赤上」「朱円」「海別」「島戸狩」「幌泊」「知布泊(現・日の出)」の停留所がありまし・・・ (続きを読む)
十津川人 11 (前田正之)
十津川郷士で幕末時に活躍した前田正之という人が東京におりました。十津川郷が天誅組に取り込まれ政治的に孤立したとき、京から潜行して村に入り、みなを説きまわって縁を切らせ、村を救った人の一人です。 戊辰・・・ (続きを読む)