道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

歌志内市 1965年(昭和40年) 28分 白黒 音声あり   

音声がありますが、大変聞きにくい状態でした。 

歌志内のはじまりは、明治23年、北海道炭砿鉄道会社が空知採炭所として開坑したことです。この空知炭砿は安政年間に露頭が発見されていました。

映像は明治23年を開基として、まさに炭鉱の町として展開していきます。
規模拡大しながら15の炭砿を抱え、歌志内市の市章は黒ダイヤと呼ばれる石炭をイメージしたものになっています。
東北出身者などにより開発が進み、明治39年に村制、大正11年に赤平村分村、昭和15年町制、昭和33年に市制施行しています。

昭和40年の歌志内の紹介です。昭和37年に炭鉱が縮小されるころの風景。
空知炭鉱の近代化、歌志内炭鉱、さらに昭和37年にスタートする北斗炭鉱の3炭鉱を中心に町の発展を映像とともに紹介しています。
炭鉱産業の危険を防ぐための工夫(ベルトコンベアーで地上に石炭を巻き上げる作業)や福利厚生面の充実をマンモス風呂、歌志内会館・空知会館などの建設。更に、歌志内マザーズ・ホームを建設し小児麻痺や歩行者訓練などを行っています。

市長は石炭から新しい産業開発&観光産業に向けて脱皮を図ろうとしています

・永知製作所は炭鉱の器具・器機の修理工場
・北昌繊維㈱はワイシャツ・ブラウスを大阪から生地を取り寄せて、赤平など近隣都市の女性を含めて雇用して生産を行っています。(月間1600万円)
・オリエントレザー工業は、姫路皮を仕入れてレザー製品を生産し、アメリカやカナダに輸出しています。これは職業訓練も兼ねています。

公共施設
歌志内給食センターを建設し、市の運営で調理を行い「パン・ジャガイモ・牛乳など」を輸送しています。
市立総合病院を4階建てで建設しています。

観光

現在の歌志内マンホール

カモイ岳を行楽や観光施設として整備しようとしています。
眺めの良い山頂にキャンプ場や自然公園を充実させてレジャーセンターにするといった動きです。

山に支えられてきた歌志内から、山を育てていこうといった考えが映像からうかがえました。