道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

増毛町 1964年(昭和39年) 14分 白黒  音声なし 

この映像は1964年(昭和39年)の増毛町の映像ですが、音声がないので当時の街を知らない人は創造で見るしかありません。この時代の増毛を知る人の語りを今のうちに残していただきたいものです。

増毛漁港

増毛の名はアイヌ語マシケ(カモメの多い所の意)によるなどの説があります。天保年間(1830~44)に漁民が許可され、道南からの漁民で漁業集落が形成され「千石場所」とよばれるニシン漁の好漁場でした。ニシンの街として栄華を極めた増毛は、明治から大正、そして昭和初期の歴史を駅前通りに残していますが、これらの映像はありませんでした

映像では、増毛港を中心に、サケ、カレイ、エビ、イカ、タコ、ホタテ貝などの漁獲と水産加工が行われ、漁業の繁栄がうかがえます。

最盛期の増毛は、商人の活躍もめざましく、網元や商人が築いた財は、惜しみもなく豪邸に注がれ、絵師や書家、文筆家らが立ち寄るほどの勢いとなり街が飛躍する原動力になりましたが、それらの映像もありません。

雄冬増毛の産業に農業があります。リンゴやブドウを中心として果物産業、更に稲作を訴求しています。この努力が今日に受け継がれています。

雄冬岬

現在の雄冬岬

増毛の映像で最も記憶に残るのは「雄冬」地区です。
雄冬岬(おふゆみさき)の由来は、この辺りの断崖が夕陽に照らされて燃えるように赤く見えたことからアイヌ語の「ウフイ」(燃える)が転じたといわれております。
昭和56年に国道231号線が開通するまでは、陸路で雄冬に達することはできず、交通手段は船のみに限られる「陸の孤島」でした。

昭和39年の映像では、増毛港から船がでて雄冬沖で更に小舟に乗り換えて雄冬部落に到着します。これは貴重な映像です。
道路の開削は映されていますが、開通するのは昭和56年のことです。

 

暑寒別岳

今は廃線となりましたが、留萌~増毛間の鉄道列車が見えます。また、暑寒別岳の登山入り口の映像は暑寒別岳を愛する人には貴重な映像と思います。
また、暑寒別川は町を横切り日本海に注いでおり、現在は「増毛リバーサイドパーク」として行楽の施設になっています。この原型ともいえる行楽風景が暑寒別川と思われる川にあります。 
最北の酒造「国稀」は祭りの中で「旗」として映っています。