松前藩6代目邦広は、徳川吉宗を主君として仕えた藩主になります。 旗本松前本広の三男で、五代目矩広(のりひろ)の養子となり、享保6年(1721年)7月11日、養父・矩広の死去により、家督を相続し17歳で・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代51 (飛騨屋久兵衛)
蝦夷の産物は海産物だけではありませんでした。 蝦夷の檜(ひのき・エゾマツ)は江戸の材木商人にとっては宝の山だったのです。飛騨は、林業の歴史で江戸以前から木材の利権をめぐって、権力者との戦いがありまし・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代50 (場所請負制)
1716年(享保元年)ころから場所請負制が盛んになります。 商場知行制のもとでは、藩や知行主は自ら船を仕立て、商場に交易に出かけなければなりません。 途中で嵐に遭って船が難破したりすると、一年の収入は・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代49 (両浜組)
近江商人の両浜組は、松前藩と密接な関係をもって活動していました。 寛文9年(1669)のシャクシャインの戦いで動揺する松前藩に対して、近江から急便をもって見舞状が寄せられます。それに対して、藩政の実権・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代48 (近江商人)
商場知行制を支えていた近江商人 近江商人は、全国各地へその商業活動の網を広げていましたが、17世紀の前半期には北海道方面にも進出して、松前藩の経済に大きな影響力を示すようになっていました。 慶長年間(・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代47 (シャクシャインの戦い―その後3)
松前5代藩主矩広は父や祖父と違って長生きし55年に渡って藩主を務めました。しかし、この間には芳からぬ事件が相次いでおきています。 蠣崎蔵人は、シャクシャイン騒動が静まった寛文12年に死亡。 それから間・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代46 (シャクシャインの戦い―その後2)
寛文9年(1669年)、シャクシャインの戦いがあった時の松前藩主は矩広かぞえ11歳でした。松前藩の始祖・武田信広から数えると10代目、松前藩創設の初代藩主・松前慶広は信広からは5代目です。従って、矩広・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代45 (シャクシャインの戦いーその後1)
幕府(和人)とアイヌ民族との戦いは終わりましたが、蝦夷の地が平穏になるものではありませんでした。決着に至るには更に時間がかかります。 翌年寛文10年(1670)に松前藩は西蝦夷地に出兵します。 余市、・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代44 (シャクシャインの戦い12)
シベチャリ川(静内川)の中州には陣幕がしつらえてありました。 シャクシャインの出した撤兵の条件を、総大将松前泰広はためらわず、「百人ほど残して撤兵しよう。そのかわり、砦の手勢もこれに見合う数にしても・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代43 (シャクシャインの戦い11)
睨み合いが続き策を思案していた時に、第二陣を率いていた松前藩家老蠣崎(かきざき)蔵人が方策を提案しました。 「和睦です。応ずるような条件をもちかけるのです。このたびのことは、商人や砂金場にも非があった・・・ (続きを読む)

