睨み合いが続き策を思案していた時に、第二陣を率いていた松前藩家老蠣崎(かきざき)蔵人が方策を提案しました。

「和睦です。応ずるような条件をもちかけるのです。このたびのことは、商人や砂金場にも非があった。よって処分もおこなわない。砂金場は閉鎖し、交易船には今後、交易率を改善させる。今後このような争乱を行わないことを誓うなら水に流してもよい、こう伝えれば応じないわけはない。更に、軍使には佐藤権左衛門と西方の総首長ハロウを立てましょう」

佐藤権左衛門とハロウは、護衛に守られてシベチャリ川(静内川)の中州を渡りました。

「このたび、松前にそむいたことについては、松前の殿も、江戸の幕府もはなはだご立腹。ひとりのこらず成敗せよとのおおせにござる。しかし、蝦夷地のことは蝦夷次第。おぬしらの態度ひとつじゃ。それに、今回の事態がひきおこされた背景には、商人や金堀りの横暴もあった。総大将は、アブラサンバの砂金場を閉鎖し、交易率もあらためるとのお考え。これで和睦の余地はないと思われるが」
佐藤権左衛門はことばたくみに陳べたのです。

「一日考えさせてもらおう」シャクシャインは即答をさけました。迷いにゆれます。決戦を繰り広げて撃退しても、多くの男たちを失うことは目にみえています。今回は撃退できても、松前勢のうしろには江戸の幕府という強大な勢力が控えています。

はかりごとと思うが、条件を出しピポク(新冠)の陣をといて、兵の撤退をみとどけられたら和睦に応じよう。

「和睦は降伏ではない、松前との対等の立場で交渉することだ」がシャクシャインの出した結論でした。

写真は新ひだか町にある「真歌の丘」にあるシャチ跡です。