白糠町の旅 (恋問海岸)
徳川家光、寛永の時代(1624~)ころから東蝦夷の交易地として「白糠運上屋」も設置され取引が行われていました。 1800年(寛政12年)に 八王子千人同心、原半左衝門(原胤敦)ら50人が耕作のかたわ・・・ (続きを読む)
十勝~釧路~根室まで道東32の市町村エリアです。
阿寒町や音別町など平成合併で無くなった旧町村も紹介しています。
農業王国十勝~神秘の湖オンネトー~阿寒湖、屈斜路湖から霧の摩周湖へ。
幣舞橋から厚岸~浜中町~最東端の納沙布岬まで、北海道がここにあります。地平線が丸く見える広大な中標津開陽台~羅臼の森繁久彌が待つ公園へ。日本最大の湿原を進んで鶴が舞い降りる駅。屈指の観光地巡りとなります。
徳川家光、寛永の時代(1624~)ころから東蝦夷の交易地として「白糠運上屋」も設置され取引が行われていました。 1800年(寛政12年)に 八王子千人同心、原半左衝門(原胤敦)ら50人が耕作のかたわ・・・ (続きを読む)
明治41年調査の結果、雑穀農業も可能な土地ということで特定地制度が設けられました。特定地制度とは、自家の開拓者のために無償で貸付し、成墾後付与するということです。美幌から試験的に入地した人が、有望であ・・・ (続きを読む)
沿岸からわずか24㎞に国後島が見えます。 蝦夷の時代、1831年に近江国の藤野喜兵衛が請負人となり標津場所が開かれるようになりました。 明治25年、サケマス人工孵化のため標津孵化場が完成し軌道に乗りま・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代は野付場所として、漁業で開けた町でした。 根室地方は漁期だけに入地し、永住が少なかったことから、明治3年ころ開拓使は漁場持ちに対して永住漁業を営む者を募集し野付に10戸移住しました。 しか・・・ (続きを読む)
平成17年10月11日 に 釧路市と阿寒町・音別町が合併し、新たに「釧路市」として発足しました。 従って、旧釧路市と阿寒町は陸続きですが音別町は白糠町を挟んで飛び地になっています。また、釧路市の東北部・・・ (続きを読む)
釧路町の歴史は4つの村が重なり合って誕生した町です。釧路市とは違いますので観光を考える場合には注意が必要です。 大平洋に面した昆布森村・跡永賀村(あとえが)・仙鳳趾村(せんぽうし)に、現在の釧路市北東・・・ (続きを読む)
摩周湖と日本最大のカルデラ湖である屈斜路湖は、悠久の大自然と多くの伝説に包まれています。この二つの湖を中心に、噴煙が吹きあがる硫黄山や、独特な動植物の生態系を持つ和琴半島の自然散策、湖畔の砂を掘ると温・・・ (続きを読む)
釧路駅~根室駅は「花咲線」(はなさきせん)の愛称が付けられています。 釧路以東への延伸は、大正6年に厚岸、8年に厚床、そして大正10年に根室まで開通し根室本線となりました。 「花咲線」の区間は、釧・・・ (続きを読む)
羅臼町の市街地のはずれに森繁久彌のオホーツク老人が建つ「しおかぜ公園」があります。 この公園を更に進むとマッカウスの洞窟に自生するヒカリゴケがあります。北海道の天然記念物に指定されています。 この洞窟・・・ (続きを読む)
鶴居村は、釧路支庁管内のほぼ中央に位置し、東は標茶町、北西は阿寒町・弟子屈町、南は釧路湿原国立公園を挟んで釧路市や釧路町に隣接しています。 鶴居村のはじまりは、釧路に分散していたアイヌの人たちを明治1・・・ (続きを読む)