平成17年10月11日 に 釧路市と阿寒町・音別町が合併し、新たに「釧路市」として発足しました。
従って、旧釧路市と阿寒町は陸続きですが音別町は白糠町を挟んで飛び地になっています。また、釧路市の東北部に釧路町があります。釧路市を訪れる時には地形を理解しておかなければ目的地に中々たどり着けません。
現在、高速道路は札幌から釧路空港の近くまで開通しています。釧路外環状道路は釧路市を通り越してICが釧路町になるので注意が必要です。

釧路歴史の概略

1644年、松前藩とアイヌの交易が、在の釧路町海岸部で行われていました。
後に久寿里場所が開設され、1822年ころから佐野孫右衛門が代々請負、出稼ぎ漁夫やアイヌを使役していました。
明治18年に鳥取県の士族が現在の釧路市西(国道38号の釧路入り口)に105戸513人が移住し街並みとして発展します。
明治20年、安田財閥の安田善次郎が春採炭山(現在の太平洋炭鉱)を開坑、それに関連して鉄道経営もおこない、函館~釧路間の定期航路が設され釧路港は厚岸港を追い越すまでに活況を帯びてきます。
明治32年、前田製紙の操業(現在の日本製紙)。
明治40年には釧路~札幌間の鉄道も開通し急速に近代化が進みました。

釧路市発祥の地

石川啄木は明治41年1月21日午後9時半に釧路駅に降り立ちました。
この時の釧路駅は現在の駅ではなく、幣舞橋の近くでした。
北海道は石川啄木と縁が深く、新聞記者として滞在した各地に記念碑や像などがあります。
函館から小樽、札幌、釧路と流浪しましたが、その中でも釧路には多くのモニュメントが残っています。啄木が旧釧路新聞の記者として滞在したのは僅か76日間ですが、この時の足跡が幣舞橋を渡ると残されています。

現在の釧路駅を降りて駅前から幣舞橋まで約1㎞。この間を北大通といい、幣舞橋を渡ると南大通に入ります。この通りに石川啄木の歌碑がたくさん建てられています。
通りを降りていくと釧路市発祥の地といわれる米町に入ります。
小高い丘に米町公園があり港沿いに広がる釧路の街を一望することができます。敷地内には、石川啄木の北海道初となった歌碑もあります。