新得町の旅 (トムラウシ温泉)
しんとく町名はアイヌ語でシットク・ナイ(山の肩、または端)から。 また、アイヌの人たちがお酒を造るための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われています。 明治4年、開拓使直轄と・・・ (続きを読む)
十勝~釧路~根室まで道東32の市町村エリアです。
阿寒町や音別町など平成合併で無くなった旧町村も紹介しています。
農業王国十勝~神秘の湖オンネトー~阿寒湖、屈斜路湖から霧の摩周湖へ。
幣舞橋から厚岸~浜中町~最東端の納沙布岬まで、北海道がここにあります。地平線が丸く見える広大な中標津開陽台~羅臼の森繁久彌が待つ公園へ。日本最大の湿原を進んで鶴が舞い降りる駅。屈指の観光地巡りとなります。
しんとく町名はアイヌ語でシットク・ナイ(山の肩、または端)から。 また、アイヌの人たちがお酒を造るための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われています。 明治4年、開拓使直轄と・・・ (続きを読む)
しみず町名の由来は、アイヌ語でペペケㇾペッ(水が・清澄な・川)を意訳したものです。 なお、前身の名はニトゥオマㇷ゚(寄木・ある・もの(川))で人舞(ひとまい)と漢字を当てたものとされ、現在も町内の字名・・・ (続きを読む)
さらべつ名の由来は、アイヌ語のサラ・ペツ(葦や茅が生い茂る地)に漢字を当てはめたことからきています。 明治29年頃、広尾道路が敷設され南九線付近にイタラタラキ駅逓が設置。この近くに吉川茂吉が定住した・・・ (続きを読む)
めむろ名は、アイヌ語のメム・オロ(泉から流れている川)に由来。 西士狩(にししかり)にアイヌ民族の砦跡「シュブサラチヤシ」が残されており、十勝の中でも最も強固なものといわれています。(帯広JCTの近く・・・ (続きを読む)
忠類村(ちゅうるいむら)は、十勝支庁南部にあった村で、2006年2月6日に北部と隣接する幕別町に編入合併しました。 昭和24年に大樹村大字当縁村の一部を分村してできた村でした。 かつては当縁川河口にア・・・ (続きを読む)
しほろ町名は、アイヌ語のシュウウォロー(広大な土地)が転訛したもの。 昔この地に忍び込んだ盗賊が村人に見咎められ、鍋を水に漬けたままで逃げたという伝説によって、シュー・オル・ペツ(鍋を漬ける川)から名・・・ (続きを読む)
かつてこの町は、アイヌ語で「セイ・オロ・サム」(貝のいるかたわら)から転じて凋寒(しぼさむ、ちょうかん)村と呼ばれていました。 大正2年に十勝川・利別川が合流する川合村と改称しましたが、明治10年代ま・・・ (続きを読む)
まくべつ名は、アイヌ語のマクンベツ(山際を流れる川)が転訛したもの。 2006年(平成18年)、幕別町と忠類村が合併し幕別町となりました。 そのため、町は縦に細長い地形で、北に十勝川、西を札内川、中央・・・ (続きを読む)
うらほろ町名の由来は、アイヌ語のウララポロ(霧・多い)という説があります。 当地域の開拓はサケ漁を中心として十勝川河口から始まっています。 明治14年、青森県人が愛牛村に入植したのがはじまりで、明治1・・・ (続きを読む)
平成合併が始まる平成17年まで、足寄町は日本最大の面積を持つ市町村でした。 蝦夷の時代、積雪量が少ないこの地は、鹿が多くアイヌ人の絶好狩猟場だったといいます。 明治12年、 細川繁太郎、エン夫妻が白・・・ (続きを読む)