徳川家光、寛永の時代(1624~)ころから東蝦夷の交易地として「白糠運上屋」も設置され取引が行われていました。

八王子千人同心の頭

1800年(寛政12年)に 八王子千人同心、原半左衝門(原胤敦)ら50人が耕作のかたわら北方警備にあたります。(苫小牧に50人)
しかし、4年後に半左衝門は箱館奉行支配調役を命じられ、手付の者も箱館奉行役御雇となって白糠の任を終えました。

1857年(安政3年)、箱館開港後の外国船舶用の燃料供給のため幕府によって白糠石炭岬に炭坑が開坑され、労働不足から1861年からは囚人も使い採掘していたといいます。
明治19年、福岡県から谷口という人が移住し農業に従事しました。この地は「農業発祥の地」とされ石碑が建てられています。
炭坑は尺別、雄別など数を増やし、第二次世界大戦時には全盛期を迎えます。
基幹産業となりましたが昭和45年までには相次いで閉山しました。

恋問海岸

釧路と白糠を結ぶ国道38号線沿いに、道の駅「しらぬか恋問」あり、その裏に回ると太平洋が一望できる「恋問海岸(こいとい)」があります。ここに立ち寄った観光客は誰もが恋問海岸を背景に記念写真を撮っています。

道の駅しらぬか恋問 鍛高ラムネ

しそ焼酎鍛高譚のふるさと
「紫香舎のしそ畑」

一番人気は「鍛高ラムネ」。
紫蘇の香りが爽やかなラムネは赤紫蘇味、青紫蘇味の2種類の味があります。
9月の収穫直前には、一面が紫色に染まったしそ畑と鍛高山を見ることができます。