濃昼(ごきびる)山道 「ごきびる」とはアイヌ語で「岬の陰・水渦巻く所」という意味です。 1854(安政元)年、ロシアと締結された日露和親条約では千島列島における国境問題は線引きされましたが,樺太は棚上・・・ (続きを読む)
厚田村から 7 (厚田資料館)
かつての厚田村の様子を伝えるための資料室が厚田にありました。 その厚田資料室のあった場所に、平成30年(2018)4月27日道の駅石狩「あいろーど厚田」が建てられました。道の駅に珍しいエスカレーターが・・・ (続きを読む)
厚田村から 6 (北海道の縮小版)
厚田村は明治以降、異色の人物を生んでいる村です。 全国から移民をしてきた北海道の縮小版ともいえるかも知れません。 そのような中に、梅谷十次郎(通称斉藤鉄太郎又は鉄五郎)がいました。彼は子母澤 寛(本・・・ (続きを読む)
厚田村から 5 (厚田村聚富)
明治時代に入ると、本州から続々と集団移民が始まり、厚田にも多くの人々が入植してきました。 明治4年(1872)以降、山形県14戸をはじめとし山口県127戸、石川県42戸、兵庫県30戸のほか、南部団体(・・・ (続きを読む)
厚田村から 4 (厚田神社)
厚田村は石狩支庁の北部にあった厚田郡に所属していた村です。2005年(平成17年)浜益村と共に石狩市へ編入され、村はなくなり厚田区となりました。 日本海を小樽⇒石狩⇒厚田⇒浜益⇒増毛⇒留萌⇒小平と北上・・・ (続きを読む)
厚田村から 3 (司馬遼太郎)
司馬遼太郎が亡くなったのは1996年2月12日でした。今年でちょうど25年になります。享年72歳でした。翌年から「菜の花忌」を東京と大阪交互に開いています。 第25回「菜の花忌」は2021年2月13日・・・ (続きを読む)
厚田村から 2 (街道を行く)
厚田村は日本海に沿って国道231号があります。他に道道11号もありますが山道になるので、やはり海が見えるコースが私は好きです。 前号で松山善三の「厚田村」を紹介したので、司馬遼太郎の「街道を行く」も紹・・・ (続きを読む)
厚田村から 1
タイトルが「厚田村」という本があります。 著者は映画監督・脚本家の松山善三で潮出版社より1994年に単行本で出版されています。 題字・梅原龍三郎/装幀・高峰秀子と豪華な上・下巻。 ・・・ (続きを読む)
厚田村から
厚田村 厚田村(あつた)は、石狩支庁北部にあった厚田郡に所属していた村です。 2005年、北に隣接する浜益村と一緒に石狩市へ編入され「厚田区」となりました。 この村は、日本海沿岸に位置するため江戸時代・・・ (続きを読む)