司馬遼太郎が亡くなったのは1996年2月12日でした。今年でちょうど25年になります。享年72歳でした。翌年から「菜の花忌」を東京と大阪交互に開いています。
第25回「菜の花忌」は2021年2月13日、NHK大阪ホールで開く予定でしたが、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、大阪会場での開催を中止し、シンポジウムの内容はそのまま2022年2月に東京会場で開くことになりました。

週刊朝日「街道を行く」は1970年12月、司馬が47歳の時に始まりました。最初の取材が「湖西のみち」でした。

「街道を行くー北海道の諸道ー」、週刊朝日で連載がはじまったのは1979年(昭和54年)1月5日号で、7月13日号まで28回続きました。そうして、単行本が出されたのは1981年(昭和56年)7月です。

「この9月、北海道の道内を転々とした」ではじまっているので、訪れたのは1978年(昭和53年)9月(55歳)ではないかと思います。
旅先は函館、松前、江差、札幌、厚田、新十津川、陸別と強行軍でした。
おそらく、文章から推察すると最初に訪れたのは「厚田村」ではなかったかと思われます。

もうかなり前になりますが、司馬と同行した朝日新聞番記者の話を聞く機会がありました。司馬が厚田を訪れる前に、子母澤寛と異母兄弟である三岸好太郎について語っていたことを聞かせてもらいました。
また、何故厚田を訪れてみようと思ったのかは興味深いものがありました。司馬が神田の古本屋に行くと古書が無くなると言われましたが、幕末に関する古書はなかったといいます。子母澤寛は幕末を知る生き字引きでした。