「十津川人」を奈良県十津川村の歴史に遡り、古事記~吾妻鏡~幕末~戊辰戦争、そうして明治22年の大水害から明治39年「金滴酒造」まで15回の連載で綴ってきました。今回で最終回になります。 しかし、十津川・・・ (続きを読む)
十津川人 15 (金滴酒造)
新十津川町「金滴酒造」のはじまり 滝川市の市街地から国道451号で石狩川を渡った交差点に「金滴酒造株式会社」があります。 明治23年の春、橋はなく十津川移民団は渡り船で何往復もしたところです。 この橋・・・ (続きを読む)
十津川人 14 (入植の二日目)
新天地 入植の二日目 まず家のまわりを広げるところから始まった。 打ち寄せる笹の波に、小屋は押し流されでもするように見えた。それに暗い。 昼食のとき、小屋の前に立って、ため息をついた。わずかの空き地が・・・ (続きを読む)
十津川人 13 (空知太(滝川)に到着)
日本一長い直線道路!美唄~滝川29.2kmコース 国道12号を走ると、美唄から滝川間に直線道路があります。この道は囚人の手で開削されました。森林地帯の真ん中へ広い直線道路をつけるのは容易なことではあ・・・ (続きを読む)
十津川人 12 (北海道をめざす)
明治22年(1889)10月18日に移民団が北海道をめざして出発しました。 災害が起きてから二か月後のことです。村人は着の身着のままで持ち物さえろくにありませんでした。しかも神戸までは徒歩での移動。こ・・・ (続きを読む)
十津川人 11 (前田正之)
十津川郷士で幕末時に活躍した前田正之という人が東京におりました。十津川郷が天誅組に取り込まれ政治的に孤立したとき、京から潜行して村に入り、みなを説きまわって縁を切らせ、村を救った人の一人です。 戊辰・・・ (続きを読む)
十津川人 10 (これからどうする)
後で分かったことですが、一夜のうちに出現した湖は37、そのうちのいくつかは何年ものあいだ水をたたえていたといいます。小さな山崩れはかぞえきれず、幅50間(約90m)を超える大崩れは1800カ所をかぞえ・・・ (続きを読む)
十津川人 9 (十津川村豪雨災害)
明治22年(1889)8月19日未明から20日にかけては台風接近に伴う集中豪雨が紀伊半島を襲いました。 8月19日から24時間降水量は推定1000㎜大規模な山の崩壊1080か所、河川閉鎖による天然ダム・・・ (続きを読む)
十津川人 8 (十津川村の位置関係)
十津川村は日本の秘境といわれていますが、訪ねた人は少ないと思います。 かつては1万人ほどが暮らす村で、隠れ家的存在でもありました。逃亡者となった平家一族や源義経、南北朝時代の皇族・忠臣、幕末には新選組・・・ (続きを読む)
十津川人 7 (免租地に異変)
免租地に異変(律令制と免措) そもそも、領地というのは領主がおり、そこから租税をとりあげる土地ということです。律令国とは、飛鳥時代から明治時代初期まで、租・調・庸・雑徭や労役というような税負担を強制す・・・ (続きを読む)