平成合併が始まる平成17年まで、足寄町は日本最大の面積を持つ市町村でした。 蝦夷の時代、積雪量が少ないこの地は、鹿が多くアイヌ人の絶好狩猟場だったといいます。 明治12年、 細川繁太郎、エン夫妻が白糠・・・ (続きを読む)
北見市の旅 (ハッカ記念館 )
平成18年3月5日、北見市、端野町、常呂町、留辺蘂町は、新たに「北見市」として合併しました。 道央圏の石北峠からオホーツク海沿岸まで東西約110kmがひとつの町で繋がったのです。 この面積は北海道で・・・ (続きを読む)
置戸町の旅 (人間ばん馬)
置戸町は、オホーツク総合振興局の南西端に位置し、南と西は十勝総合振興局との境界で陸別町、足寄町、上士幌町と接している人口約3,000人の町です。 「人間ばん馬」のイベントは毎年7月に行われています。 ・・・ (続きを読む)
訓子府町の旅 (高知の北光社移民団)
明治2年、北海道となりこの地方は北見国常呂郡となりました。 しかし、明治20年くらいまでは網走を中心に漁民と商人、海岸の近くにごく僅かの農牧移住者がありましたが、交通路のない内陸は未開地でした。 北海・・・ (続きを読む)
白糠町の旅 (恋問海岸)
徳川家光、寛永の時代(1624~)ころから東蝦夷の交易地として「白糠運上屋」も設置され取引が行われていました。 1800年(寛政12年)に 八王子千人同心、原半左衝門(原胤敦)ら50人が耕作のかたわ・・・ (続きを読む)
中標津町の旅 (はじまり)
明治40年、蠣崎知二郎の調査の結果、雑穀農業も可能な土地ということで特定地制度が設けられました。特定地制度とは、自家の開拓者のために無償で貸付し、成墾後付与するということです。美幌から植村菊治一家が試・・・ (続きを読む)
標津町の旅 (鮭の町)
沿岸からわずか24㎞に国後島が見えます。 蝦夷の時代、1831年に近江国の藤野喜兵衛が請負人となり標津場所が開かれるようになりました。 明治25年、サケマス人工孵化のため標津孵化場が完成し軌道に乗りま・・・ (続きを読む)
別海町の旅 (叫びの像)
蝦夷の時代は野付場所として、漁業で開けた町でした。 根室地方は漁期だけに入地し、永住が少なかったことから、明治3年ころ開拓使は漁場持ちに対して永住漁業を営む者を募集し野付に10戸移住しました。 しか・・・ (続きを読む)
釧路市の旅 (釧路市発祥の地)
平成17年10月11日 に 釧路市と阿寒町・音別町が合併し、新たに「釧路市」として発足しました。 従って、旧釧路市と阿寒町は陸続きですが音別町は白糠町を挟んで飛び地になっています。また、釧路市の東北部・・・ (続きを読む)
釧路町の旅 (細岡展望台)
釧路町の歴史は4つの村が重なり合って誕生した町です。釧路市とは違いますので観光を考える場合には注意が必要です。 大平洋に面した昆布森村・跡永賀村(あとえが)・仙鳳趾村(せんぽうし)に、現在の釧路市北東・・・ (続きを読む)