蝦夷の時代は野付場所として、漁業で開けた町でした。
根室地方は漁期だけに入地し、永住が少なかったことから、明治3年ころ開拓使は漁場持ちに対して永住漁業を営む者を募集し野付に10戸移住しました。

別海町の地図

しかし、内陸は未開発が続き、拓殖計画で手厚い保護を加えて移民が増えますが冷害・凶作が続き農業政策の転換を迫られます。
昭和8年、根釧(こんせん)原野農業開発5か年が行われ、乳牛を主体とする主畜農業が行われました。
昭和30年ころから床丹原野に、国家プロジェクトで機械開墾のパイロットファーム(試験農場)事業が始まり、酪農近代化への第一歩が踏み出されます。
昭和48年からは935億円を投じて、新酪農村建設事業がスタートし全国の酪農王国として発展を遂げることとなりました。
別海町の面積は、四国の香川県とほぼ同じです。米軍の沖縄海兵隊の実弾砲撃訓練を行うのですから、その広さを創造してみてください。

別海町の道の駅「おだいとう」は国道244号沿いにあります。根室方面から国道44号で向かうとJR厚床駅で国道244号に入れます。道なりに北上し史跡旧奥行臼駅逓所から右折すると右手に風連湖が見え、床丹地区に入ると海が見えてきます。別海はどこを走っても車が少ないので快適なドライブとなります。
尾岱沼の市街地(尾岱沼漁港があります)手前に道の駅があります。
秋から春にかけて数百羽の白鳥が飛来するといわれる「白鳥台」が見えます。
敷地内には北方領土返還の願い「叫びの像」があり、2階には北方領土の展示室もあります。