蝦夷の時代、この地は藤野喜兵衛の請負漁業地でした。 藤野は紋別・枝幸も所有していましたがね湧別の地は収穫高が思わしくなく、漁場の開設地以外は原始のままの状態で獲物を追って転住するアイヌ人の仮小屋が湧別・・・ (続きを読む)
根室市の旅 (はじまり)
根室は1754年に交易場所として漁業によって栄えた地でした。 江戸の後期になるとロシア使節ラクスマンの来航(1792)など次第に開国・通商を求める外圧が強くなります。 明治維新を迎えると、今まで幕藩・・・ (続きを読む)
北見市の旅 (旧留辺蘂町)
留辺蘂町(るべしべちょう)は、北海道網走支庁に存在した町で常呂郡に属していました。 2006(平成18年)3月5日、114年の歴史に幕を閉じ、北見市、常呂町、端野町、と合併し「新北見市」となりました。・・・ (続きを読む)
北見市の旅 (旧端野町)
端野町(たんのちょう)は、北海道網走支庁管内の常呂郡に存在した町です。2006年(平成18年)3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となりました。 明治24年(1891)に札幌~網走・・・ (続きを読む)
秩父別町の旅 (屯田の鐘)
秩父別(ちっぷべつ)町の由来は、アイヌ語のチクㇱペッ(我ら・通る・川=通路のある川)からの転訛とする説があります。 明治28年、土佐丸に乗船して屯田兵とその家族が富山などから小樽港に上陸しました。 ・・・ (続きを読む)
深川市の旅 (深川名物のウロコダンゴ)
深川(ふかがわ)市名の由来は、アイヌ語のオオホナイ(深い・川)の意訳という説があります。一説には、市街の北を流れる大鳳川のアイヌ語名という説。 市街地付近は「メム」と呼ばれたが、明治23年ごろから「深・・・ (続きを読む)
滝川市の旅 (空知太)
滝川(たきかわ)市名の由来は、空知川の語源であるアイヌ語のソーラプチペッ(滝のある川)を意訳したことによります。 昔は、石狩川と空知川の合流するところ「ブト」の意味で、「空知太」と呼ばれていました。 ・・・ (続きを読む)
奈井江町の旅 (コンチェルトホール)
奈井江(ないえ)町名の由来は、アイヌ語のナイェ(その川)で町内を流れる奈井江川との説があります。 現在の当別町を拓いた岩出山市藩主伊達邦直は、明治3年に新政府から空知郡統括の命が下り「ナイエ」から「・・・ (続きを読む)
札幌市の旅 (はじまり)
さっぽろ市名の由来は、アイヌ語のサッ・ポロ(乾いた大きい)とする説があります。かつての豊平川が乾季に極端に水量が少なくなる川だったため。 1866年にイシカリ御手作場に入植した越後国蒲原郡、津軽国金・・・ (続きを読む)
江別市の旅 (江別の歴史)
えべつ地名の由来は、アイヌ語のエペツ(胆汁のように濁った川)、ユベオツ(チョウザメのいる川)、イプツ(大事な入り口)など諸説あります。 江別市の市街地、北東部の対雁は文政年間(1818年~)から上対雁・・・ (続きを読む)