さっぽろ市名の由来は、アイヌ語のサッ・ポロ(乾いた大きい)とする説があります。かつての豊平川が乾季に極端に水量が少なくなる川だったため。

大友亀太郎

1866年にイシカリ御手作場に入植した越後国蒲原郡、津軽国金木町、南部国五戸などから入植者がありました。

同時期に大友亀太郎による、現在の創生川となる大友掘の開削。

定山渓の湯治場設定などが江戸末期から進んでいました。

明治2年、開拓使が設置され、判官島義勇が札幌本府建設に着手。(トップの写真は北海道神宮に建つ島義勇)

明治4年、伊達藩白石領の旧藩士が白石と手稲軽川に154戸移住。

 

琴似屯田兵屋入口

明治8年、宮城・青森・山形・岩手から琴似へ屯田兵198戸が入植し、本格的な開拓がはじまりました。
更に、現在のススキノの農家24戸移転し、二十四軒という地名ができます。

明治9年、札幌農学校が開校、クラーク博士が来日し教頭を務めました。

この頃、中川清兵衛らにより麦酒醸造所を発足し、後のサッポロビールとなっています。

現在の豊平区里塚は当時三里塚(札幌から三里)と呼ばれており、木炭が製造されていました。美薗地区は花卉栽培が盛んになったことから付けられた地名。

明治初年から開拓していた平岸地区でりんご栽培が始まったのは明治17年。
明治22年に福井・兵庫県から入植した西岡地区も大正13年にりんご栽培が始まっています。

南区の簾舞(みすまい)や小金湯は、札幌農学校の第四農場が開設されたことから、熊本出身者によって開拓が進められました。

現在は人口195万人を超える大都市となり、郊外にまで急激に宅地化が進んでいます。