根室は1754年に交易場所として漁業によって栄えた地でした。
江戸の後期になるとロシア使節ラクスマンの来航(1792)など次第に開国・通商を求める外圧が強くなります。

明治公園

明治維新を迎えると、今まで幕藩体制で維持されてきた場所請負い制度が廃止(明治2)となります。
しかし、請負い人の嘆願もあり当分は漁場持ちと称して、漁民の定住の少ない道東や道北では旧請負い人が任じられ、開拓使のもと行政的な業務にあたらせられましたが、この制度も明治9年に廃止になりました。

漁場持制度のころに柳田藤吉が34戸111人、藤野喜兵衛が98戸209人の永住漁民を根室に移住させています。

明治15年、広島県から幌茂尻村に、明治19年に和田屯田兵村に新潟・福井他から旧藩士220戸が移住しています。この地名は大隊長、和田正苗から付けられました。

落石

 

大正10年の根室本線開通を機に、江戸時代から請負い場所であった落石、明治35年に開設された柳田・中島牧場などを中心にした酪農地帯の別当賀などの沿線が市街地を拡大させていきます。

 

 

 

明治33年に町制施行、昭和32年に根室町と和田村が合併し市制を施行。

北方領土

北方四島

明治8年に榎本武揚の外交により「樺太千島交換条約」で千島は日本領土となりました。
千島列島の歯舞諸島は花咲郡歯舞村に属していましたが、戦後のサンフランシスコ平和条約で領土権を放棄、帰属未定のまま当時のソ連邦が占拠、現在に至っています。

また、和田村が湖岸にある温根沼をはじめ風連湖など湖沼も多く、タンチョウ・ハクチョウなど水鳥が飛来する豊かな地です。