なよろ名の由来はアイヌ語のナイオロプト(渓流に注ぐ口)からと言われています。名寄川が天塩川に注ぐ様子をいったものです。 明治30年に道庁告示で、名寄村は上川郡上名寄村と中川郡下名寄村を設置しました。上・・・ (続きを読む)
剣淵町の旅 (レークサイド桜岡)
けんぶち名はアイヌ語のケネプチ(ハンノキ(・川)・その川口)に由来。 剣淵川と天塩川の合流地の説。ハンノキ川という意味で湿地帯に多い木で、町内を流れる犬牛別川も同じような意味。それだけに開拓は困難でし・・・ (続きを読む)
当麻町の旅 (でんすけスイカ)
明治25年に当麻屯田兵村の兵屋建設が当麻中央部で行われ、翌年、広島・山口両県から101戸が先陣入植しました。(最終的には400戸) 当時は永山村の一部で字トウマと呼ばれ原始の未開地でした。 屯田兵に・・・ (続きを読む)
旭川市の旅 (旭川兵村記念館)
旭川に本格的に和人が往来し始めたのは明治11年ころからでした。 その後、明治19年に滝川を基点として旭川~三笠までの上川仮道が樺戸・空知集治監の受刑者の労役によって開かれ、翌年から改修工事がはじまり、・・・ (続きを読む)
士別市の旅 (士別のはじまり)
士別のはじまり 北海道第二の長流「天塩川」と、その支流剣淵川の二つの流れがもたらす豊饒な天恵を併せもつ士別盆地。 明治30年9月に士別盆地に入植した人がおります。回漕を業とする新保寅吉が第一歩をし・・・ (続きを読む)
札幌市の旅(旧永山武四郎邸)
永山は明治21年(1888年)6月から第2代目北海道庁長官を兼ねた方です。 明治22年には屯田兵司令官に就任し、北海道庁長官退任後の明治28年には臨時第7師団司令官ともなりました。 屯田兵を掌握し軍部・・・ (続きを読む)
札幌市の旅(西区)
西区は、左股川、琴似発寒川を境にした東側一帯の旧琴似町地域と西側一帯(発寒地区は旧琴似町に含む)の旧手稲町地域とからなっています。 これらの地域には、和人の入地以前からアイヌ民族が生活を営み独自の文化・・・ (続きを読む)
札幌市の旅(北区)
札幌で一番早く開拓が始まった篠路地区では、明治11年(1878年)、札幌と石狩を結ぶ石狩新道が造られると北陸や九州、四国、中国地方などから農民が次々と移住してきました。 この辺りは一大低湿地帯のため、・・・ (続きを読む)
札幌市の旅(中央区)
中央区は、札幌市の中央部を占める行政区です。 北海道庁をはじめとする官庁や、企業の本社・支社が多く、札幌市の中核となる区です。札幌開拓の歴史は、この中央区からはじまりました。 明治2年に開拓使が設置さ・・・ (続きを読む)
湧別町の旅(旧上湧別)
上湧別町(かみゆうべつ)は、網走管内中部の紋別郡に存在した町で、 2009年10月5日に湧別町と新設合併し、新たに湧別町として発足しました。 屯田兵の入植した地であり、現在も兵村という地名が町内に残っ・・・ (続きを読む)