富良野市の旅 (北の国から)

ふらの名はアイヌ語のフラーヌイ(におう炎臭いニオイのするところ)に由来。十勝岳の噴気にちなんだといわれます。 明治 29 年に富良野原野殖民地区画の設定が行われ、翌 30 年福岡県三井郡出身の中村千幹・・・ (続きを読む)

当麻町の旅 (でんすけスイカ)

明治25年に当麻屯田兵村の兵屋建設が当麻中央部で行われ、翌年、広島・山口両県から101戸が先陣入植しました。(最終的には400戸) 当時は永山村の一部で字トウマと呼ばれ原始の未開地でした。 屯田兵に・・・ (続きを読む)

上川町の旅 (層雲峡)

明治24年、北見道路が開通し越路駅逓(現・市街地)ができ、翌年中越駅逓(上川国道・国道273号)が設置されました。 それにより、明治28年宮城県から本田喜市が越路27線に入地したのがはじまりで、これ・・・ (続きを読む)

東神楽町の旅 (ウパシの森)

明治25年、神居村から独立した当時の神楽村は、神楽、西御料地、東御料地の3地区でした。明治初期に上川離宮予定地のため御料地となっていました。 明治27年に忠別北・忠別南の貸し下げが行われ、忠別北に増・・・ (続きを読む)

中富良野町の旅 (ラベンダー)

明治28年、富山出身の伊藤喜太郎は岩見沢の幌向原野で開墾していましたが、西崎源右衛門と知り合い、西崎が中富良野に合力農場の交付を受けたため番人として入地しました。ところが密林で湿地だったため西Ⅰ線北1・・・ (続きを読む)

日高町の旅 (旧門別町)

ひだか町名の由来は、日高山脈の麓にあることから。 なお、ほぼ同時期に誕生した新ひだか町は別の自治体です。 2006年(平成18年)3月1日に、(旧)日高町と門別町の2町が合併して日高町となりました。平・・・ (続きを読む)

新得町の旅 (トムラウシ温泉)

しんとく町名はアイヌ語でシットク・ナイ(山の肩、または端)から。 また、アイヌの人たちがお酒を造るための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われています。 明治4年、開拓使直轄と・・・ (続きを読む)

清水町の旅 (美蔓パノラマパーク)

しみず町名の由来は、アイヌ語でペペケㇾペッ(水が・清澄な・川)を意訳したものです。 なお、前身の名はニトゥオマㇷ゚(寄木・ある・もの(川))で人舞(ひとまい)と漢字を当てたものとされ、現在も町内の字名・・・ (続きを読む)

更別村の旅 (十勝スピードウェイ)

さらべつ名の由来は、アイヌ語のサラ・ペツ(葦や茅が生い茂る地)に漢字を当てはめたことからきています。 明治29年頃、広尾道路が敷設され南九線付近にイタラタラキ駅逓が設置。この近くに吉川茂吉が定住した・・・ (続きを読む)

芽室町の旅 (ゲートボール発祥の地)

めむろ名は、アイヌ語のメム・オロ(泉から流れている川)に由来。 西士狩(にししかり)にアイヌ民族の砦跡「シュブサラチヤシ」が残されており、十勝の中でも最も強固なものといわれています。(帯広JCTの近く・・・ (続きを読む)