ひだか町名の由来は、日高山脈の麓にあることから。
なお、ほぼ同時期に誕生した
新ひだか町は別の自治体です。

2006年(平成18年)3月1日に、(旧)日高町と門別町の2町が合併して日高町となりました。平取町を挟む飛び地で、町役場は旧門別町にあります。

蝦夷の時代は沙流場所に属し門別に運上屋が置かれ、アイヌ人の小屋が立ち並び春秋には請負人の弁財船が門別川尻に入泊したといいます。

明治2年、彦根藩が門別、仙台藩が佐瑠太(現在の富川)を分領したがまもなく罷免され帰郷しましたが、飯田信三他5名が残りコンブ場・漁場の経営に着手。
コンブ場7か所を取り仕切り、牧畜や旅人宿も行い、公共事業にも尽力しました。

エドウィン・ダン記念館 ガラス玉航海日誌より

明治11年、新冠御料牧場の主任を命じられた岩根静一が退職にあたり、現在の豊郷に167万坪の牧場を開設、馬産の改良、増殖を図りました。
岩根静一について (1852-1917)
明治~大正の畜産家。淡路島出身。
明治4年、阿波徳島藩家老稲田邦植に従い日高静内郡に入植。東京で開拓使仮学校現業生として学んだ後、開拓使日高新冠牧場主任。

日清戦争により場産地門別の地位を確立、大正期から鉄道も発達し、昭和27年に町制施行しています。

日本有数の軽種馬産地

門別の地区は軽種馬の日本有数の産地です。
過去9千頭にもおよぶ多くの競走馬を生み出し、7冠馬「シンボリルドルフ」もこの地で生まれ育ちました。

町内に多数の牧場を持ち「門別競走馬」が建設され、ホッカイドウ競馬の専用競馬場です。