明治28年、富山出身の伊藤喜太郎は岩見沢の幌向原野で開墾していましたが、西崎源右衛門と知り合い、西崎が中富良野に合力農場の交付を受けたため番人として入地しました。ところが密林で湿地だったため西Ⅰ線北19号付近の菅原を貰い受けて開墾したのが始まりでした。

明治29年富良野原野に植民区画が設定され、5町歩の賃下げを受けて上村卯之助が入地、検査合格者第一号で開拓入植に成功した最初の人といわれています。

中富良野町の地図

明治30年に石川団体が入植、さらに翌年福井団体は入植人員が規定に満たなかったが期限延期で開墾継続という事態も起きました。

大正6年に分村独立し中富良野村となります。
しかし、これは泥炭湿地の不毛な原野の排水工事の負担を考え、上富良野側が中富良野を切り離す意向もありました。
2年後に湿地帯は排水の完工により、さらに開拓が進み水稲栽培が発展しました。

 

 

ファーム富田

昭和27年頃ラベンダーが西山地帯中心に栽培され始めましたが、昭和40年代後半から化学香料に押され栽培も激減します。
その中で一貫してファーム富田で栽培を続け昭和51年(1976年)に、旧国鉄のカレンダーで紹介され全国的に一躍有名になりました。

ラベンダーソフトクリーム

ラベンダー観光発祥の“トラディショナルラベンダー畑”は、ラベンダー観光の歴史そのものとなりました。

北海道の花の季節は5月から始まり、ファーム富田でも、スイセン、チューリップ、オリエンタルポピー、かすみ草などがいっせいに咲き始めます。色とりどりの花びらが、畑をうめつくし、周囲の景観に映え、中富良野の「春の風物詩」となっています。