武田信広は若狭(福井県)の守護武田信賢(のぶかた)の子で、粗暴なところがあったため継嗣争いに敗れ、数人の家臣を付けて家を出ました。 その後、関東を経て奥州田名部にいたって蠣崎村に住み、安東政季に従っ・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代12 (松前藩開祖誕生)
武田信広(松前藩開祖) コシャマインの戦いで、アイヌ総大将の首を討ち取った花沢館主蛎崎季繁の客将武田信広は蝦夷地における地位を決定的なものとしました。 花沢館主の蛎崎氏養女(茂別館主下国の娘)と結婚。・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代11 (コシャマイン蜂起の結末)
コシャマイン蜂起の結末 写真はコシャマインの戦いで最初に陥落した「志海苔館」入り口です。 アイヌの人たちは、戦争というものを知らない民族でした。民族同士によるいざこざや、既得権を巡って部落同士の戦・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代10 「コシャマインの戦い」が芥川賞
昭和11年の第三回芥川賞は福岡生まれの鶴田知也が受賞しました。 北海道を舞台とした小説としては初めての快挙で、タイトルは「コシャマイン記」です。 書き出しは次の通りです。 「勇猛を以って聞えたセタナの・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代9 蹉跌とマキリ(小刀)
志海苔館は志海苔川の河口にありました。 この川の上流で蹉跌が取れたため、多くの鍛冶屋が海峡を渡って志海苔館付近で商売をはじめました。函館から約20キロのこの一帯には、100軒を超える部落となり大変な賑・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代8 昆布ロードの発祥は志海苔館から
1443年、十三湊の安藤氏は新勢力の南部氏の攻撃をかわし切れずに蝦夷に敗走し、安藤配下の豪族たちも次々と海峡を渡ります。 その後、渡島半島南部に館を築きアイヌとの交易を行うようになりました。 これは、・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代7 豪族の割拠と12館
蝦夷地に渡った和人は交易によって力を伸ばし、渡島西南部の小豪族となり沿岸に館を築いていきます。 館というのは中世の城で、土盛で囲み敵との戦いに備えた作りです。 西は花沢館(現在の上ノ国町)から東は志海・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代6 松前藩の始祖も津軽を渡る
1454年、下北半島田名部の安東政李が渡島半島に渡ります。 この安東氏と行動を共にしていた蠣崎氏も渡るのですが、蠣崎氏のところに転がり込んでいた武田信広も共に渡ります。 この武田が松前藩の始祖といわれ・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代5 津軽の十三湊
鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝は、1189年奥州藤原氏を征服すると、津軽に蝦夷管領を設置します。 蝦夷には藤原氏の残党が多く渡っており、津軽守護人として蝦夷までの支配権限を与えられたのは、津軽の十三湊(と・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代4 蝦夷にいつから日本人が
蝦夷地に、いつから日本人が住むようになったのでしよう。 北海道の最南端は、松前町の「白神岬」になります。 この岬に立つと津軽半島の竜飛岬まで19.2キロ。 青函トンネルもこの最短距離に掘られました。・・・ (続きを読む)