上ノ国町・花沢館跡

武田信広は若狭(福井県)の守護武田信賢(のぶかた)の子で、粗暴なところがあったため継嗣争いに敗れ、数人の家臣を付けて家を出ました。
その後、関東を経て奥州田名部にいたって蠣崎村に住み、安東政季に従って蝦夷に渡り、上ノ国花沢館に入ります。
若狭の守護武田氏は甲斐の武田と同じですが、むしろ当時の日本海開運の拠点であった若狭の小浜方面から蝦夷に渡来した商人ともいわれています。

 

札幌の北海道神宮境内に「開拓神社」があります。37人の北海道開拓に貢献した人物が祀られているのですが、この筆頭が武田信広です。
こちらも読んでください。北の美術館「開拓神社」2020年1月 通算71号

12館の豪族たち

箱館の河野氏は伊予の豪族・河野氏の子孫で、加賀に居住したのち流浪して蝦夷地にはいりました。
花沢館の蠣崎氏は若狭武田の同族、比石館の厚谷氏は若狭武田の重臣でした。
また、箱館に一寺を創建し、コシャマインの戦いで大舘(松前町)に移った随岸寺開祖嘉峰や、大館法源寺の開祖随芳、法幢(ほうどう)寺再興の宗源などは若狭からの移住。
加賀も同じようなもので、若狭~、12館を築いた和人は北陸方面から日本海開運の流れで乗り込んだ豪族たちでした。