現況 移住後資本の欠乏その他の理由により多少の移動ありて現住戸数154戸、内37年移住せし者71戸38年移住せし者83戸にして町村別では十津川村37戸 四郷村27戸 川上村24戸 小川村21戸 天川村・・・ (続きを読む)
吉野団体 6 開墾進歩の状況
開墾進歩の状況 初年移住者は移住季節遅れ、また樹木多くして開墾困難なりしも郷里にありて林業に従事しいずれも伐木に巧みなりして鬱蒼たる樹林もたちまちにして切り開き、また農耕には比較的経験を有せさるも常に・・・ (続きを読む)
吉野団体 5 移住の顛末
移住の顛末 予定存置の許可を得るや総代人は帰国して直ちに移住の準備にはいり1戸当たり25円を徴収して人を遣わして請負を以って移住戸数に対する居小屋を建設せしめたり。 また十津川村にては全戸移住する者に・・・ (続きを読む)
吉野団体 4 移住地の位置
移住地の位置 天塩国上川郡士別村上士別原野区画地は士別川左岸25線より29線右岸15線より22線の間にあり地味最も肥沃なり。 士別停車場より約5里移住の際は団体地内に道路なかりしも37年開通せられ交通・・・ (続きを読む)
吉野団体 3 団体成立の顛末
団体成立の顛末 明治22年吉野川洪水の為家財を無くしこれを救済する方法として内務省奈良県庁等保護の元に罹災民600余戸を石狩国樺戸郡新十津川村に移住せしめたり。 この移民は移住後年月を経ると共に広大な・・・ (続きを読む)
吉野団体 2 郷里における状態
郷里における状態 郷里吉野郡は有名なる山岳地にしてその面積狭きにあらざるも森林8分に対し耕地2分の割合にして農耕地としてはその生産力少なく一部の経済は主に林業に頼り耕地は畑7分田3分の割合にして田は稲・・・ (続きを読む)
吉野団体 1 吉野郡民554戸団体
吉野団体 1 明治39年9月「北海道士別村上士別原野移住者成績調査」報告書 ・・・ (続きを読む)
新設 吉野団体
「吉野団体」とは、明治37・38年に奈良県吉野郡十津川村外十箇村から士別村上士別原野に開拓に入った団体をいいます。 明治35・36年と奈良県吉野郡十津川村は不景気が続き、明治22年に新十津川に集団移住・・・ (続きを読む)